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日本古典文学

鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

〈原文〉

る神の少しとよみてさし曇り雨も降らぬか君をとどめむ

〈現代語訳〉

雷が少し鳴り響いて、空が曇り、雨が降ってくれないだろうか。(雨が降れば)あなたをこの場所に引き留められるのに。

概要と解説

この和歌は、奈良時代末期に成立したと考えられる現存する日本最古の和歌集『万葉集』に収められている歌で、作者は分かっていませんが、女性の詠んだ恋歌です。

以下、和歌の意味を、順を追って解説していきたいと思います。

まず、冒頭の「鳴る神」とは、「雷鳴」を意味します。雷の音です。

なぜ「神」か、というと、「かみなり」は、もともと「神鳴り」が語源で、また「いかづち」は「いか」が語源であることからも分かるように、かつて雷というのは、「神様が鳴らすもの」と考えられていたようです。

雷が、どうなったのか。その後の「響みて」ですが、「響む」とは、「大きな音や声が鳴り響くこと」を意味します。読み方は、「とよむ」「どよむ」です。

鳴神がとよむ、ということから、雷が、鳴り響いている、ということが分かります。

それから、「さし曇り」ですが、この「さし」は、接頭語(「お手紙」「た易い」など、言葉の頭につき、語調などを整える言葉)で、意味自体はありません。

そのため、「さし曇り」というのは、そのまま、「曇って」という意味に捉えられます。

その「さし曇り」に続く、「雨も降らぬか」は、「も〜ぬか」で願望を表現することから、「雨が降ってほしい」となります。

最後の「君を留めむ」では、「あなたをここに留められるのに」と、雨の降ってほしい理由が表現されています。

というわけで、この「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」という和歌を、全文を通して現代語訳すれば、「雷が少し鳴って空が曇り、雨が降ってくれたら、あなたをこの場所に引き留めておけるのに」という切ない恋の歌になります。

男女が一夜を共にし、男性が帰っていくときに、雷が鳴り、空に雲が広がる。

ああ、雨が降ってくれたら、雨宿りのために、もう少しだけ一緒にいられるのに、という恋心を詠んだ歌です。

こういった心情は、現代の感覚でも分かりやすく沁み入るものがあるのではないでしょうか。

一方、この女性側の和歌に対し、男性側の返事の歌もあります。その歌が、「鳴る神の少し響みて降らずともは留まらんいもし留めば」です。

この和歌は、柿本人麻呂が作者と考えられ、現代語訳すると、「雷が少し鳴って雨が降らなくとも、あなたが留まってほしいと言うなら、私は留まりましょう」となります。

女性側が、「雷が鳴って、空が曇り、雨が降ったら、もう少し一緒にいられるのに」と歌ったのに対し、男性側は、「雨など降らなくてもあなが一緒にいたいと望むなら一緒にいるよ」と女性の想いを優しく受け止めます。

女性が引き留めようとし、その想いを振りほどくように男性側が帰っていく、というのが常のなかで、こうして受け止めるという歌は珍しい形のようです。

ちなみに、歌のなかに出てくる「妹」というのは、兄弟関係の「いもうと」ではありません。読み方は「いも」で、男性が、恋人や妻など女性を親しんで言う際に使用する言葉です(逆の場合、「」という言葉が使われます)。

>>『妹よ』|中原中也全誌アーカイブ

映画『言の葉の庭』

『言の葉の庭』予告

雨と恋について詠んだ、この「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」という和歌は、『君の名は』でも有名な新海誠監督のアニメーション映画『言の葉の庭』のなかで登場する歌でもあります。

あらすじ

靴職人を目指している高校生の孝雄と、謎めいた心に影のある年上の女性教師の雪野。孝雄は、雨の日の午前は学校に行かずに、公園で雨宿りがてら靴のデザインを考えていた。そして、ある雨の日、庭園で出会った二人、それから、雨の日のたびに二人は庭園で交流を重ねていった。

映画の舞台となっている庭園は、東京の新宿にある新宿御苑で、二人が会った際、別れ際に、雪野が、孝雄に向けて歌を詠みます。

その歌が、万葉集の「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」です。

そのときは、この歌の意味が分からなかった孝雄。その後も、約束のない雨の日だけの逢瀬を続けたのち、彼女が苦悩していた事実を知った孝雄は、この短歌が、万葉集の歌であることを知り、雪野に、その返事の歌として、「鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらん妹し留めば」を伝えます。

前項で解説した通り、これは、「雷が少し鳴って空が曇り、雨が降ってくれたら、あなたをこの場所に留めておけるのに」という恋の歌と、その返事としての「雷が鳴って雨など降らなくても、あなたが留まってほしいと望むなら、私はここにいましょう」となります。

映画『言の葉の庭』は、「雨」が一つの鍵となり、雨の描写にもこだわりがあると新海監督はインタビューで語っています。

「例えば最初に2人が出会ったときに降っている雨は2人を隔てるカーテンのように降り注いでます。2人の関係が深まっていくにつれて雨も小降りになるし、タカオが初めてユキノの足に触れた日は、天が祝福するかのようにキラキラした天気雨が降り、土砂降りの雨は2人の背中を後押しする。

強弱だけでなく、雨粒を光らせたり、地面の濡らし方、水たまりからはね返るしずくの大きさなど、単に降り注ぐだけでなく2人の感情に絡めながら雨を描き分けて、意味を持たせることは強く意識しました」

出典 : 新海誠監督インタビュー 「万葉集」と“雨”の歌から生まれた、「これは雨宿りの映画」

もともと国文学を専攻していた新海監督にとって、学生時代から、基礎教養で学んでいた万葉集は、千年以上も前の歌でも、男女の想い合う気持ちというのは連続しているんだと、ずっと心に残っていたようです。

男女の恋、雨、そして雨宿りの映画において、この万葉集に載っている雨と恋(孤悲)の歌が、ぴったりと馴染んだのでしょう。