花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせし間に〜意味と現代語訳〜
〈原文〉
花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせし間に
〈現代語訳〉
美しかった花の色もすっかり色褪せてしまったなぁ、むなしく、降り続く長雨をぼんやりと眺めて物思いにふけっているうちに(私もまたこの世で年をとってしまった)。
概要
鈴木春信『小野小町』
作者の小野小町は、六歌仙、三十六歌仙の一人で、生没年不詳(平安時代前期と考えられる)の女流歌人です。
出身については、現在の秋田県湯沢市小野という説がありますが、その他にも諸説あり、詳しいことは分かっていません。
小野篁の孫、あるいは娘とする説があり、また、「小町」という呼び名の由来は、すでに宮中に出仕していた姉の「町」と区別するために名付けられたもの、という説があります。
その他に関しても、はっきりしたことは分からず、謎が多い人物で、死後、様々な伝承として伝わっています。
小野小町は、絶世の美女としても有名で、そのことから、店や地域の看板娘のことを、「〇〇小町」と呼ぶ風習もあります。
ただし、小野小町の当時の絵や彫像は現存せず、後世に描かれた小野小町も、後ろ姿の作品が多いことから、いっそう魅惑的で謎の多い人物となっているのかもしれません。
また、晩年の伝説として、絶世の美女であった小野小町が、諸国を放浪し、最後は炉端で倒れ、死体は腐乱、白骨化したあと、眼球の穴からススキが生え、風になびくたびに、「あなめあなめ」と音を立てた、という話も残っています。
あなめあなめとは、「ああ、目が痛い」という意味です。
美しいものが醜く落ちぶれていくという伝説によって、より神聖化されるという、美の持っている魅惑的な側面が伺えます。
小野小町の墓は、全国各地に点在し、この墓に関しても、どれが本物か分かっていません。
貴族で歌人の紀貫之は、『古今和歌集』の序で、小野小町に関し、「小野小町は古の衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。」と評しています。
これは現代語訳すると、「小野小町の和歌は古代の衣通姫の流れを汲んでいる。しみじみとした風情があるが、力強さはない。」となります。
衣通姫とは、記紀神話にて伝承される女性で、その美しさゆえに衣を通して光輝いたという伝説(名前の由来となっている)が残っている美女です。
小野小町の美女伝説も、作風が衣通姫になぞらえられたことから生まれたのではないかと考えられています。
この小野小町の、「花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせし間に」は、『古今和歌集』に収録され、百人一首の一つとしても選ばれています。
冒頭の花の色とは、様々な花の色を指しますが、桜という解釈が一般的です。
うつりにけりな、とは、「うつる」が、「花の色がうつる」で、衰え、色褪せてしまうことを意味し、「な」は感動の助動詞なので、すっかり色褪せてしまったなぁ、といった意味合いになります。
いたずらに、とは、むだに、虚しく、という意味です。
我が身世にふる、とは、私もこの世で「古る」(年老いてしまった)と、(雨が)「降る」を掛けた言葉です。
ながめせし間に、とは、物思いにふけりながらじっと眺めているあいだに、という意味で、「ながめ」は、「眺め」と「長雨」を掛けています。
この歌を、通して現代語訳すると、「美しかった花の色もすっかり色褪せてしまったなぁ、むなしく、降り続く長雨をぼんやりと眺めて物思いにふけっているうちに(私もまたこの世で年をとってしまった)」となります。
長く降り続く雨をぼんやりと眺めているうちに、せっかくの美しい花の色が、すっかり色褪せてしまった、という表の解釈と、もう一つ、美しかった姿も、嘆きながら悲しく物思いにふけっているうちに時間が流れ、すっかり年老いてしまった、といった後悔の念も重ねて表現されています。
長雨のうちに、せっかくの美しい花があっという間に色褪せていくように、愛や恋に悲しみ、物思いにふけっているあいだに、美しかった姿も衰えていく、という無常観が伝わってきます。