田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ〜意味と現代語訳〜
〈原文〉
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
〈現代語訳〉
田子の浦に出て眺めると、白い布をかぶったように富士の高い峰に雪が降り積もっているよ。
概要
作者の山部赤人は、正確な生没年は不詳の奈良時代の歌人で、出自や履歴もよくわかっていませんが、下級官吏として宮廷に仕えていたと考えられています。
美しい自然を詠んだ歌に優れ、『万葉集』には、長歌が13首、短歌が37首があり、紀貫之の書いた『古今和歌集』の序文では、山部赤人は、柿本人麻呂と並んで歌聖と称されています。
狩野尚信『三十六歌仙額(山部赤人)』
この「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」という和歌は、『新古今和歌集』に収録され、百人一首にも入っている冬の歌です。
歌の冒頭の「田子の浦」とは地名で、駿河国(現在の静岡県)の吹上の浜などを指します。
静岡県東部、駿河湾奥部、富士市南部、田子浦港一帯の海岸をさし、静岡市清水区蒲原地区の吹上の浜から富士川河口を経て、富士市沼川河口あたりまでを含める。
現在の田子の浦とは場所が少し違い、この歌で詠まれている当時の田子の浦は、倉沢や由比、蒲原の辺りのことです。
続く「うち出でてみれば」は、「うち」が動詞の前につけて調子を整える接頭語で、「出でてみる」は、「出る」と「見る」で、「出て眺めてみる」という意味になります。
また、「白妙の」とは、富士に掛かる枕詞で、コウゾ類の木の皮の繊維で織った白い布のことです。
下の句の「富士」は、富士山のことで、「高嶺」は、「高い山の峰、高い山の頂」を意味し、「白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」で、富士山の頂に、白妙の布のような雪が降っている、となります。
最後の「降りつつ」の「つつ」というのは、反復・継続を表しますが、まさに今降っている様が見える、ということではなく、もう少し広く、雄大な眼差しで「降っている」と捉えているのでしょう。
もう一度、全体を通して「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」を現代語訳すれば、「田子の浦に出て眺めると、白い布をかぶったように富士の高い峰に雪が降り積もっているよ」となります。
もともとこの歌の原歌は『万葉集』にあり、『新古今和歌集』では微妙に改作がされています。『万葉集』では、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」となっています。
両者の違いとしては、主に「真白に」と「白妙に」、「降りける」と「降りつつ」の部分に見られ、『万葉集』のほうが、より直接的な表現と言えるでしょう。
ちなみに、富士山は、旅の歌として詠まれる以外にも、平安時代にしばしば噴火するなど古代から火が燃える高い山という認識がなされ、その燃える様子から恋心の比喩として用いられることも多い山です。