かくれんぼと鬼ごっこのルールと由来
かくれんぼ
子供の頃に行った代表的な遊びと言えば、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」があります。
かくれんぼのルールは、公式には決まっていませんが、ざっくりとルールは以下の通りと言えるでしょう。
最初に、鬼をじゃんけんやくじ引きで一人決めます。鬼は目をふさいで数を数え、そのあいだに他の人たちが隠れます。
鬼は、「もういいかい」とみんなに呼びかけ、もう隠れたあとであれば、「もういいよ」と返し、まだもう少し時間が必要なら、「まあだだよ」と返事します。
そして、「もういいよ」と返ってきたら、鬼が隠れている子たちを探しにいきます。制限時間は特にありません。もしメリハリが必要なら、一ターン10分といった風に決めておくといいかもしれません。
制限時間が過ぎたり、隠れている子たちが全員見つかったら、ゲームはいったん終わりとなり、かくれんぼを続けるようなら、最初に見つかった子が次の鬼になります。
これが簡単なかくれんぼのルールです。
誰もが子供の頃に一度は遊んだことがあり、自然と馴染んでいる遊びなのではないでしょうか。
「もういいかい」
それでは、この「かくれんぼ」という遊びは、一体いつ頃からあるのでしょうか。
かくれんぼの起源は、中国の唐の時代(618年〜907年)に遡るという説があります。
古く中国では、入り組んだ宮廷内で行われた、「迷蔵」と呼ばれる大人の娯楽があり、この迷蔵が、かくれんぼと似たような遊び(儀式だったという話も)と考えられています。
日本に伝わってきたのは、平安時代以前頃ではないかと言われ、当初は、山に女性が隠れ、恋人の男性が探しにいくことで互いの愛情を確認する「隠恋慕」という儀式や遊びのようなものだったという説があります。
この隠恋慕ですが、山が広大だったことから、遭難することもあったそうです。
現代一般的に知られているかくれんぼのように子供の遊びとして広まったのは、江戸時代の頃だと言われています。
ちなみに、かくれんぼの名前の由来としては、もう一つ、隠れる人を意味する「隠れん坊」が、そのまま変化し、「かくれんぼ」を指すようになったという話もあります。
呼称としては「かくれんぼ」以外に、「隠れ遊び」といった言い方もあったらしく、方言集である『物類称呼』では、地方ごとのかくれんぼの呼び名の違いも記載されています。
古くから行われてきた子どもの遊びで,〈かくれあそび〉〈かくれおに〉〈かくれんぼ〉が一般的な名称だが,近年は〈かくれんぼ〉が全国的通称になっている。
山東京伝の《骨董集》(1814‐15)に〈かくれ遊びとあるは今云ふかくれんぼなるべし。(中略)かくれんぼはかくれ子の転語〉とあるところから,かくれあそびが古く,かくれんぼは少なくとも江戸期になってからの名称である。
《物類称呼》(1775)に〈かくれんぼは小児のたはむれ也、出雲にてかくれんごと云ふ、相模にてかくれかんぢやうと云ふ、鎌倉にてはかくれんぼと云ふ、仙台にてかくれかじかと云ふ〉と、当時の各地方の名称を記している。
ただし、近代まで、夕方以降は神隠しや誘拐などを恐れて、子供たちがかくれんぼをすることはタブーとされていたようです。
民俗学者の柳田國男は、『山の人生』のなかで少し以前の東京でのかくれんぼについて、次のように書いています。
東京のような繁華の町中でも、夜分だけは隠れんぼはせぬことにしている。夜かくれんぼをすると鬼に連れて行かれる。または隠し婆さんに連れて行かれるといって、小児を戒める親がまだ多い。
村をあるいていて夏の夕方などに、児を喚ぶ女の金切声をよく聴くのは、夕飯以外に一つにはこの畏怖もあったのだ。
だから小学校で試みに尋ねてみても分わかるが、薄暮に外におりまたは隠れんぼをすることが何故に好くないか、小児はまだその理由を知っている。福知山附近では晩に暗くなってからかくれんぼをすると、隠し神さんに隠されるというそうだが、それを他の多くの地方では狸狐といい、または隠し婆さんなどともいうのである。
出典 : 柳田國男『山の人生』
海外でも、たとえばアメリカやイギリスで、ほとんど似たようなルールで行われる「かくれんぼ」があり、英語で「Hide-and-seek」と言います。
英語で「hide」が「隠れる」を意味し、「seek」が「探す」なので、そのまま隠れることと探すことでかくれんぼを指します。
日本のかくれんぼとのルールの違いとしては、鬼が、「もういいかい」とわざわざ尋ねることはなく、「Ready or not, here I come !(よくてもまだでも探しにいくよ!)」と探し出します。
また、探す人のことはもちろん「鬼」とは言わず、英語では「it」と言い、「You be it.」が、翻訳すれば、「君が鬼だよ」という意味になります。
鬼ごっこ
一方、鬼ごっこも、代表的な子供の遊びの一つです。ざっくりしたルールとしては、次のような形が挙げられるでしょう。
鬼ごっこの参加者は二人以上で、じゃんけんなどによって一人の鬼(「親」と呼ばれることもある)を決め、鬼が一定の時間を数えているあいだに、残りの子たちはいっせいに逃げます。
どこまでも逃げられると永遠に終わらないので、公園や広場など場所の範囲をある程度決めることが多く、また、自転車を使ったり、鍵をかけて立てこもる、といったことも禁止事項として挙げられます。
鬼は、逃げる子たちを追いかけ、身体のどこか一部分でも手で触れてタッチしたら、タッチされた子が、次の鬼になります。
これが鬼ごっこの一般的なルールです。
タッチの呼び名は、方言のようなものかもしれませんが、地方によって違いが見られる場合もあり、大阪では「でん(をつく)」、奈良県の一部では「あがり」、北海道では「えった」と呼びます。
また、「鬼ごっこ」という呼称も、「鬼事」「鬼遊び」「鬼渡し」「鬼かいな」「おについぼ」「おにふくろ」など様々な異名があり、江戸時代後期には「鬼わたし(江戸)」、「つかまへぼ(京都)」「むかへぼ(大坂)」「鬼ごと(東北や長崎など)」「鬼々(仙台)」「おくりご(津軽)」「鬼のさら(常陸)」といった地域ごとに呼び方も色々とあったそうです。
鬼ごっこの起源は、平安時代初期から行われている宮廷の行事の修正会のなかの「追儺」と呼ばれる鬼払いの儀式だと言われています。
追儺とは、人に害をなす悪鬼や邪気などを退散させようという祭事です。
この追儺の際、鬼が横暴に振る舞う場面があり、この部分を子供たちが真似たのではないか、という説があり、こうして生まれた遊びが、鬼ごっこの起源と言われる「子捕ろ子捕ろ(子を捕ろ子捕ろ)」ではないかと考られています。
いつから行われていたのかと言うと、これも平安時代に遡り、当時はヒフクメという名前でした。
子供の遊戯の一。一人ずつ鬼と親になり、ほかの子供が親の後ろに列を作り、鬼が最後の子をつかまえようとするのを親は両手を広げて防ぐ。
つかまったときは、その子が鬼になる。子とろ子とろ。子捕り。親とり子とり。ひふくめ。
ことろことろは、いわゆる今の鬼ごっこと多少ルールは違いますが、似たような雰囲気は残っていると言えるでしょう。
とは言え、当時は貴族文化であり、庶民文化に根ざしていったのは江戸時代になってからのようです。
実際に、ことろことろを行なっている映像を見ると、雰囲気が多少掴めるかもしれません。
動画 : ことろことろ|日本スポーツ協会
割と最近まで行われていたようで、鬼ごっこ協会理事の羽崎さんは、「ことろことろは明治、大正時代まで誰もが知るメジャーな遊びでした。年代的に八十五歳以上の方なら知っている人もいると思いますよ」と新聞の取材のなかで語っています(参考 : <スポーツ探偵>鬼ごっこ「ことろことろ」 「鬼滅」につながる童遊び 親が鬼から子を守る)。
日本文化に根ざした鬼ごっこですが、似たようなゲームは(ルールはそれぞれ違いも見られるものの)海外にもあり、英語では「tag」と言います。
『TAG タグ』予告編