きぬぎぬの別れとは〜意味と由来〜
あまり聞き慣れないかもしれませんが、日本の古い言葉に、「きぬぎぬの別れ」という表現があります。
きぬぎぬの別れとは、「一晩をともにした男女が翌朝の別れ」のことを意味します。
きぬぎぬ、という言葉を漢字にすると、衣という字を二つ重ねた「衣衣」、あるいは、「後朝」と表記します。
衣という漢字を使う由来としては、男女が共寝をし、二人の衣を重ねてかけて寝たあと、翌朝にそれぞれの衣を交換して別れる、というかつての風習が挙げられます。
衣衣という言葉のみで、その際の衣のことを指し、衣が、共寝のあとの別れの象徴となっています。
もう一つ、当て字として後朝という書き方もできるように、「男女が共寝した翌朝のこと、その朝の別れのこと」も意味します。
転じて、「衣衣 / 後朝」だけで、別れそのものや離れ離れになることも指します。
平安時代の貴族は、通い婚が一般的で、一緒に暮らしているわけではなく、男性は女性のもとを夜に訪れ、一晩をともにします。
当時は敷布団はなく、貴族の寝具は畳で、その畳の上に、二人の着ていた衣を敷き、逢瀬を重ねます。
翌朝、二人はお互いの衣を着て、男性が、まだ暗い暁の頃に帰っていきます。男性は、衣に残っている女性の漂う残り香によって、その女性との逢瀬のことを思い出すこともあったでしょう。
この逢瀬のあと、帰るに際し、あるいは帰宅後に綴った、男性が女性に宛てて贈る和歌や手紙のことを「後朝の歌」や「後朝の文」と言い、女性の側も、その手紙が届くのを心待ちにしていたと言います。
「後朝」は衣衣で、衣を互いに重ねて共寝した男女が、翌朝にそれぞれの衣装を着て別れることが本来であった。男が帰るに際して、衣衣の別れの贈答歌を交わし、帰宅してからは衣衣の文の贈答をしていた。
出典 : 倉田実『男と女の後朝の儀式罫─平安貴族の恋愛事情─』
後朝の歌の一つには、たとえば、『源氏物語』に出てくる「見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな」が挙げられます。
この和歌を現代語訳すると、「こうして愛し合ってもまた逢う夜がなかなか訪れることはない、それならこのお逢いしている夢のなかに、このまま我が身を紛れ込ませてしまいたい」となります。
愛し合う夢が叶っても、次に逢うことが滅多にないのなら、そのまま夢のような逢瀬のなかに紛れて消えてしまいたい、という熱烈な甘い恋の歌です。
他にも、後朝の歌として、藤原義孝の「君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな」などもあります。
この歌の現代語訳は、「あなたのためなら惜しくもないと思っていた命さえも、(こうして逢瀬を遂げたあとになってみれば)できるだけ長く生きたいと思うようになりました。」となります。
こちらもまた、恋い慕う熱い想いが伝わってくる歌と言えるでしょう。