「月が綺麗ですね」と「月が青い」
夏目漱石と言えば、『吾輩は猫である』『こゝろ』『坊っちゃん』など、代表作を数多く残している日本を代表する明治の文豪です。
東京出身で、1867年に生まれ、1916年に病のために亡くなります。
作家としての活動期間はそれほど長くなく、処女作の『我輩は猫である』を書いたのが38歳で、未完の最後の作品『明暗』執筆が49歳です。
長年神経衰弱に悩まされ、49歳という若さで亡くなった漱石、死因は胃潰瘍の再発でした。
若い頃から英語講師として勤め、33歳のときに文部省から英国留学を命じられたことで渡英し、勉学に励むものの、英文学研究への違和感から、神経衰弱に陥ります。
帰国後は、小泉八雲の後任として、東京帝国大学の英文科の講師となります。
しかし、講義が不評だったこともあり、神経衰弱を再発し、その際に、俳人、小説家の高浜虚子から小説を書くことを勧められ、38歳で書いたのが、夏目漱石の代表作の一つ『吾輩は猫である』です。
その後、40歳で朝日新聞に入り、職業作家として歩み出します。
以降、亡くなるまでの約10年間、途中病に倒れながらも精力的に執筆を続け、現代でも代表的な国民作家として知られています。
少し前の紙幣で、1000円札に夏目漱石の肖像が描かれていたことも記憶に新しいのではないでしょうか。
画像 : 1000円札(夏目漱石)
さて、その夏目漱石が、英語で「私はあなたを愛している」ということを意味する「I love you」を、直訳ではなく、「月が綺麗ですね」と翻訳した、という有名な伝説があります。
これは、夏目漱石が海外の小説を翻訳する際に「月が綺麗ですね」と訳した、というわけではなく、当時、英語教師をしていた夏目漱石が、「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子に対し、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」と言った、というエピソードに由来します。
I love you、と言えば、一般的には、「I」が「私は」、「love」が「愛する」「you」が「あなたを」となり、直訳すれば、「私はあなたを愛しています」です。
気楽に表現すれば、「愛してるよ」といったニュアンスでしょうか。
漱石は、この「愛している」という直接的な表現は日本的ではない、と考えたのでしょう。
和歌などを読んでも、直接的な表現は避け、恋心を表現するのであっても、一緒に夜道を歩きながら、ふと「月が綺麗ですね」と言うくらいが、ちょうどいい塩梅というのが日本的な感性だ、というのもあったのかもしれません。
ただ、この夏目漱石の逸話は、ガセネタではないか、といった議論があり、実際には漱石は、I love youが、「月が綺麗ですね」である、といった類のことは言っていない、という声も少なくありません。
実際、この話の出典を調べても、定かではなく、根拠となる文献は見つかっていません。
たとえば、福田眞人『明治翻訳語のおもしろさ』の136ページに、“漱石は、それを「月が奇麗ですね」と訳したとされる”とあるものの、この本のなかでも、事実かどうかが分かる細かい出典等の記載はないようです。
このとき、漱石に直接言われた教え子というのが誰なのかはもちろんのこと、このエピソードを誰が最初に言い出したのか、いつから言われるようになったのか、といった詳細も分かっていません。
現在確認できる、この伝説の最も古い登場としては、1977年に作家の豊田有恒が書いたコラムがあります。
ただ、表現は少し違って、「月が綺麗ですね」ではなく、「月がとっても青いなあ」となっています。
夏目漱石が、英語の授業のとき、学生たちに、I love you.を訳させた話は、有名です。学生たちは、「我、汝を愛す」とか、「僕は、そなたを、愛しう思う」とかいう訳を、ひねりだしました。「おまえら、それでも、日本人か?」漱石は、一喝してから、つけくわえたということです。「日本人は、そんな、いけ図々しいことは口にしない。これは、月がとっても青いなあ――と訳すものだ」
なるほど、明治時代の男女が、人目をしのんで、ランデブーをしているときなら、「月がとっても青いなあ」と言えば、I love you.の意味になったのでしょう。
出典 : 豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』
意味合いとしては、「愛している」といった直接的な表現は日本人にとっては「図々しい」もので、もっと控えめな表現が適している、と考えていたようなので、現在広がっている話と基本的な発想に違いはありません。
ただし、この話も、「有名です」とはあるものの、どこで誰が言っている、といった細かい説明はありません(参考 :「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証)。
同時期、別の書籍でも、「月が青い」と翻訳した話が有名である旨が登場するので、この時点で(細かい注釈をつけなくてもよいほど)よく知られていることではあったのでしょう。
そもそも、「月が綺麗ですね」と「月がとっても青いなあ」では、意味としては相当違いますが、なぜ「青い」から「綺麗」に変化していったのかも定かではありません。
もう少し時代を遡ると、昭和30年(1955年)に、菅原都々子の大ヒット曲『月がとっても青いから』があり、もしかしたら、この時点ですでに知られていた話だったのかもしれません。
歌詞の冒頭は、「月がとっても青いから 遠回りして帰ろう」という一節で始まります。
月が青い、という状況は、具体的にどういう光景なのでしょう。たとえば、次のような指摘もあります。
昭和30年ごろ、月が青いんだから回り道しようと歌ったのは歌手の菅原都々子さんでしたが、このときもおそらく、月そのものが青いのではなく、まわりの景色が月明かりで青っぽく見えたということなのでしょう。
現実的には、「月がこんなに明るいのだから、少しぐらい遅くなってもかまいませんよね?」と言っているだけなのだと思います。
この歌詞の解釈からすると、月明かりで周囲も青く見えるほど明るいのだから、遠回りして帰ろう、もっと一緒にいよう=愛している、ということになるようです。
もし、この歌詞の「月が青いから」の解釈に倣うとすれば、変化した「月が綺麗ですね」というのも、「月が綺麗に見えるほど明るいから、もう少し一緒にいませんか」という意味として捉えるのが適しているのかもしれません。
ちなみに、この「月が綺麗ですね」という言葉には、ネット上で色々と返し方も考えられているようです(参考 : 「月が綺麗ですね」の意味と返し方まとめ!定番&断るときの言葉を解説)。
定番の返し方としては、「死んでもいいわ」という言葉が挙げられます。
この言葉は、明治の小説家の二葉亭四迷が、ロシア文学であるツルゲーネフの『片恋』を翻訳した際に、「私はあなたのものよ(私はすべてをあなたに捧げる)」という意味の言葉を、「死んでもいいわ」と訳したことに由来します。
二葉亭四迷が、「I love you」を、「死んでもいいわ」と翻訳したという話もありますが、実際は、ロシア語で、「私はあなたのものよ」という一節を、「死んでもいいわ」と訳したというのが事実のようです。
なぜ、「月が綺麗ですね」という告白への代表的な返事が、「死んでもいいわ」となるのか、理由は分かりませんが、同時代の作家で、I love youの訳し方という点から、セットで考えられるようになったのかもしれません。
愛を伝える方法は、千差万別。それとなく伝えることもあれば、直接的に表現してほしいという人もいるでしょうし、この例だけでなく、小説家や詩人も、その手法を、色々な形で表現してきたのでしょう。