童謡『春の小川』歌詞の意味─川が生き物たちに囁く 全文と解説
〈原文〉
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
概要と解説
子どもの頃、音楽の授業や卒業式、テレビなどで一度は歌ったり聴いたりしたことのある童謡の『春の小川』。この歌は、1912年に文部省唱歌として発表された曲です。
同じく文部省唱歌の代表作である『ふるさと』と同様、作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一によるものです。二人は、今もなお歌い継がれる唱歌を多く手がけています。
この『春の小川』も、穏やかなメロディに乗せて、流れる小川や花々など、活き活きとした自然の描写がほんとうに美しい歌です。
歌詞の全文と意味
この歌には、よく知られている歌詞とは別に、もともとの歌詞が存在します。
現在歌われている歌詞は後に改変されたもので、そちらについては後ほど触れるとして、まずは現在歌われている歌詞の全文と意味を見ていきたいと思います。
『春の小川』(現在)
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
今もすうっと入ってくる、とても素直な心持ちで情景の浮かぶような歌になっています。
川が語りかける
歌詞の細部を見ると、まず冒頭の「さらさら行くよ」という一節に、軽やかな小川の流れる様が表れています。「さらさら」という擬音語が、春の穏やかな小川の情景をそのまま耳に届けてくれるようです。
また「行くよ」という表現から、小川がどこかに向かってただ流れるのではなく、花や生き物に語りかけながら進んでいく。
この歌の特徴的なところは、そんな風に、川そのものが主体として描かれている点と言えるかもしれません。
春の小川が行く、という表現もそうですし、なにより、「咲けよ咲けよと ささやきながら」「遊べ遊べと ささやきながら」という歌詞からも、小川が花や魚たちに優しく語りかけている様子が伝わってきます。
一番では花に、二番では魚や生き物に語りかける。この構造が、春の豊かな自然の営みを生き生きと表現しています。
一番に登場するすみれとれんげは、どちらも春を代表する花です。
すみれは、道端や野原に咲く小さな紫色の花で、れんげ(蓮華草)は、田んぼや野原に群れて咲く赤紫やピンク色の田園風景には欠かせない存在の花です。
どちらも華やかさよりも、どこか素朴で愛らしい印象の花。そうした花を選んでいることに、この歌の持つ優しさが感じられます。
二番では、えびやめだかや小鮒といった川の生き物たちに、遊べ遊べと囁きます。
こうしてさまざまな生き物たちに語りかけることによって、川が単なる背景ではなく、春の命を育む存在として描かれています。
春の小川が、生き物たちに活力を与えているようです。
歌詞の変化
歌詞は、二度ほど変わっています。最初、1912年のときには、現代版と比較して歌詞が微妙に違い、かつ三番まであります。
春の小川(1912年版)
春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
匂いめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
春の小川は さらさら流る。
蝦やめだかや 小鮒の群に、
今日も一日 ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。
春の小川は さらさら流る。
歌の上手よ、いとしき子ども、
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと、ささやく如く。
大まかな情景は変わりませんが、「さらさら流る」や「ささやく如く」といった文語体が使われ、少し難しい雰囲気があります。
また、子どものことを歌っている三番が、この当時の歌には残っています。
その後、1942年に、文語体から口語体に変更され、また、このとき三番も削除されます。
春の小川(1942年版)
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いているねと、ささやきながら。
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小鮒の群れに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら
これが、1947年には、再び歌詞の変更があり、「咲いているねと」の箇所が、「咲けよ咲けよと」に戻されます。
モデルとなった川は
はっきりとしたことは残っていませんが、ただ、この小川のモデルとなった川としては、かつて渋谷区を流れていた河骨川ではないかという説があります。
作詞者である高野辰之博士は長野県出身の国文学者で、明治42年(1909)から代々木山谷の地に暮らしていたそうです。当時そこには河骨川という小川が流れており、春になるとメダカが泳ぎ回り、そして岸辺には実際にスミレやレンゲの花が咲いたといいます。こうした風情を愛した高野博士は、しばしば娘さんと一緒に川辺を散策し、そのイメージをもとに歌詞を作り、大正元年(1912)に発表しました。こうして誕生したのが『春の小川』なのです。
作詞をした高野が、ちょうどこの小川の流れていた辺りで暮らし、娘とよく散策したそうで、そのイメージによって生まれたのが、『春の小川』だったとも言われています。

