結婚する二人に贈る詩、吉野弘『祝婚歌』
これから結婚する二人に贈るのにぴったりの詩に、吉野弘さんの『祝婚歌』があります。
これは文字通り結婚を祝福した詩で、作者の吉野さんが、姪夫婦の結婚式に仕事の都合で出席できなかった際、新郎新婦に向けて贈った詩です。
この詩は、作者の名前は知らなくても一度は聞いたことがあるというくらいに結婚式のスピーチなどで朗読されることも多いと言われ、肩肘張らずに夫婦がいつまでも仲睦まじくあるように、という祈りが込められた作品です。
『祝婚歌』
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい吉野弘『吉野弘詩集』
この詩を書いたのは、吉野さんが50歳くらいの頃、結婚して20数年が経っていた頃のことでした。
吉野さんの娘さんが、父は、詩人になりたいという夢を理解し、ついてきてくれた妻には感謝の思いがあるはずだとしながら、しかし同時に、自分が子どもの頃には、よく両親は夫婦喧嘩もしていたと書いています。
激しく喧嘩をしても、あっという間に元に戻ったそうです。それこそ、変に肩肘張らずに、その都度衝突しては仲直りする、ということによって二人のバランスが保たれていたのかもしれません。
そんな夫婦の日々のことも思い出しながら、紡ぎ出した詩なのでしょうか。普段は、じっくり時間をかけ、完成した後も書き直しを行うことが多かったという吉野さんが、この『祝婚歌』に関しては、一気に書き上げ、書き直すこともなかったと言います。
詩の冒頭、「二人が仲睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい」という言葉で始まる。そして、「正しさ」について、こんな風に書かれています。「正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい」
親子であれ、夫婦であれ、人間関係において、「正しいことを言うこと」が、必ずしも「正しいこと」とは限りません。
それは、「正しさ」ということの基準が、時代や立場によっても違うから、ということだけでなく、「正しさ」という絶対的な担保によって他者へ向けた言葉の速度にブレーキがかかりづらくなったり、「正しいことを言う」ことそのものに伴っている重たさが、ときに武器のような攻撃性に繋がってしまうこともあるからです。
だからこそ、この詩でも、その言葉自体が、正しさの押し付けにならないように、あくまでも一つの視点として優しく提示されているのでしょう。
そして、この詩は、全体を通して、「人は愚かで不完全だからこそ、相手に完璧を求めようとするのではなく、自分が完璧であろうとするのでもなく、そのことを自覚しながら、ゆらゆらと揺れながら、許し合っていく。そのことによって末永く関係性が続いていく」という夫婦関係に限らず、人間関係における大事なことが描かれているように思います。
これは、吉野さんの『生命は』という詩にある、生命は欠如しているからこそ他者から満たされることで成り立っている、という考え方とも底のほうで繋がっていると言えるでしょう。以下は、『生命は』の一部抜粋になります。
『生命は』
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
生命は、単独で成り立つようにはできていない。完璧であることは、どこか不自然で無理をしていることでもあり、無理をしていたら、どこかで破綻が訪れる。それは人間関係だけでなく、自分の心の問題でも言えることなのかもしれません。
その生命と生命の繋がりである夫婦関係について書かれた詩が、『祝婚歌』なのではないでしょうか。
ちなみに、『祝婚歌』の著作権について、吉野さんは過去に「民謡のようなものだから、著作権料などは要らない」ということを対談の席で語っています。
早坂 吉野さんは「祝婚歌」を「民謡みたいなものだ」とおっしゃっているように聞いたんですけど、それはどういう意味ですか。
吉野 民謡というのは、作詞者とか、作曲者がわからなくとも、歌が面白ければ歌ってくれるわけです。だから、私の作者の名前がなくとも、作品を喜んでくれるという意味で、私は知らない間に民謡を一つ書いちゃったなと、そういう感覚なんです。
早坂 いいお話ですね。「祝婚歌」は結婚式場とか、いろんなところからパンフレットに使いたいとか、随分、言って来るでしょう。 ただ、版権や著作権がどうなっているのか、そういうときは何とお答えになるんですか。
吉野 そのときに民謡の説を持ち出すわけです。 民謡というのは、著作権料がいりませんよ。 作者が不明ですからね。こうやって聞いてくださる方は、非常に良心的に聞いてくださるわけですね。だから,そういう著作権料というのは心配はまったく要りませんから……
早坂 どうぞ自由にお使いください。
吉野 そういうふうに答えることにしています。
早坂茂三『人生の達人たちに学ぶ~渡る世間の裏話』
作者が誰かも分からずに伝わっていく民謡のように、結婚式のパンフレットやスピーチなどで自由に使って構いません、という風に吉野さんは話します。素敵なお話だなと思います。
