源頼朝の和歌
源頼朝は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、鎌倉幕府の初代征夷大将軍であり、鎌倉幕府を開き、武家政治の始まりを担った人物です。
1147年に、尾張国で生まれ(京都で生まれたという説もあります)、1199年に51歳で亡くなります。
頼朝の死因というのは、今もまだ分かっていません。死因としては、落馬説、糖尿病説、暗殺説など諸説あるようです。
源頼朝の和歌としては、勅撰和歌集である『新古今和歌集』に2首が選ばれており、歌にも造詣が深かったようです。
たとえば、「道すがら富士のけぶりも分かざりき晴るる間もなき空のけしきに」という和歌は、頼朝が旅の道すがらに、富士山を眺めていたら、晴れるまもない空模様で曇っており、噴煙との見分けがつかなかった、という情景を詠んでいます。
当時は、今と違って富士山が噴煙を上げているのは日常の光景で、源頼朝は、晴れ渡る空で、噴煙がのぼっている光景を見たかったのかもしれません。
それから、もう一首は、「陸奥のいわでしのぶはえぞ知らぬ書き尽くしてよ壺の石ふみ」です。
これは、歌人でもある高僧の慈円の和歌に対する返事として詠まれた歌で、細かい点に関しては、『源頼朝と和歌』に詳しく解説があります。