中原中也と酒癖
中原中也は、叙情的で悲しげな詩を数多く残し、病によって若くして死んだ、近代日本を代表する詩人です。
また、中也はその作品だけでなく、背が低く弱いながら、喧嘩っ早く酒癖が悪かったり、生涯仕事もしないで詩作に耽っていた、といった彼の性格や人生そのものも、ある種の魅力として語り継がれています。
中也は、二人でいるときは心根の優しい性格だったものの、酒癖の悪さが酷く、特に大勢の人たちと一緒の席で酒が入ると、その性格は暴力的に一変したそうです。
そんな中也の酒癖の悪さを物語る、有名な「ビール瓶」のエピソードがあります。
ビール瓶で殴打して「俺は悲しい」
ある日、若い作家たちがいつものように仲間のアパートの一室で酒を飲み、議論を交わしていた際、ひょんなことから、中也と、年下の評論家であった中村光夫が口論になります。
中也と中村の口論はたちまちエスカレートしていき、ついに沸点に到達した中也は、中村に向かって「殺すぞ!」と声を荒げると、手に持っていたビール瓶で中村の頭を殴りつけます。
中也の暴挙に、中村も酔いがまわって感覚が麻痺していたのか、「だからどうした」とばかりに平然とした素振りで応じ、いったん騒動は収まりかけたかと思いきや、その様子に怒りをあらわにしたのが、その部屋の主の青山二郎です。
普段は温厚な青山が、このときは珍しく感情をむき出しにし、「殺すつもりなら、なぜ縁ではなく横っ腹で殴った。卑怯だぞ!」と中也を怒鳴りつけます。
青山の怒声に中也ははっと黙り込み、右手にビール瓶をぶら下げたまま、その場に立ち尽くし、中村と青山の顔を交互に見比べると、「俺は悲しい!」と叫んで床に泣き伏せてしまいます。
中也の泣き叫ぶ声が部屋中に響き、中也の声に不思議とその場の誰もが悲しくなり、中村の恨みがましい想いも薄れ、もつれた糸がほどけていくように部屋は静まり返っていったそうです。
酒癖の悪さもそうですが、文学仲間のなかに漂うぶっ飛んだ空気感も伝わってくるエピソードです。
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ウインゾア
中原中也の酒癖のエピソードで言うと、時代は少し遡りますが、ウインゾアの話もあります。
当時、東京の京橋を渡った八重洲通りの手前にウインゾアという一軒のモダンな酒場がありました。ウインゾアは、1931年(昭和6年)の暮れ頃に開店し、骨董の収集や美術評論に定評のあった青山二郎がこだわりを持ってつくった店でした。
店は、青山の周辺に集まる多くの文学仲間たちの溜まり場にもなり、小林秀雄や井伏鱒二、大岡昇平といった著名な若い作家たちの他に、骨董屋から工芸職人、画家など様々な表現者たちが集まったそうです。
その集いの場であったウインゾアが、まもなく「閉店」を余儀なくされることとなるのですが、その理由について、青山は、「店の常連だった中原によって潰された」と振り返ります。
その頃中也は、日が暮れてまもなくすると、誰かと話したいがために(青山曰く「私塾でも開いたように」)ウインゾアを訪れ、ほとんど店に酒代も落とさずに毎晩のように遅くまで居座ります。
あげく、見知らぬ客の話でさえも割り込んでいっては喧嘩を繰り広げ、たちの悪いことに、中也はそのことを「詩人の使命」とさえ考えていたようです。
とにかく中原中也の対人関係では、常識というものが通用しなかった。隣り合った他人の話にも、それが場にふさわしいものでなければ口をはさみこむ。いや、彼は酒場で話される様々な声に反応して、すべての違和感を取り払おうとした。それも彼独特の毒舌で違和感を振り払おうとするのだから、他人はこれを拒否する。
そこで喧嘩がはじまるわけだが、腕力は弱かった。なぐられるのはいつも彼の方であった。けれども彼は性懲りもなく、関係のない他人の会話にも割り込んでいく。それが詩人に課せられた使命と考えていたから始末が悪い。
村上護『四谷花園アパート』
中也が誰かれ構わず喧嘩を吹っかけたために、当然ながら、ウインゾアから客は離れていきます。
結果、一人の詩人によって、ウインゾアはわずか一年足らずで閉店せざるを得なくなったのです。
ここに毎晩ほとんど主なる顔ぶれが揃うのであるが、彼はどうしてもそこへ行くことを主張するのである。私はなんとかして行かせまいと力を尽くすのだが、結局は彼の体はそこのドアを開けてしまうのである。私のいないときは尚更である。
そこで彼の毒舌はいやが上にも散乱し、そして最後にはいつもの乱酔と乱闘に終る日々が続くのである。こうして彼は嘗て彼の最も親しかった友人達とまた最も憎み合わねばならなかったのだ。
安原喜弘『中原中也の手紙』
中原中也は、その寂しさゆえにウインゾアを求め、その寂しさゆえに乱酔し、その寂しさゆえに自らの手で自らの居場所を壊してしまうのでした。
