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身体

河田桟さんの馬の本

河田桟さんの馬の本

馬の本、と言っても、競馬の本ではなく、また馬の特徴に関して科学的に解説した本でもなく、馬を通して、生きていること、人間のこと、命のことが綴られているエッセイとして、河田桟さんの『くらやみに、馬といる』という小さな本があります。

河田さんは、沖縄県の与那国島で馬のカディと暮らし、この馬との暮らしや感じたことを綴った本を自ら出版する「カディブックス」という出版社も運営しているようです。

カディブックスのホームページには、出版社の特徴として、「簡素に、身軽に、ゆるやかに、力を使わず、お金を使わず、常に変わり続けることを方針にする小さな出版社です。」という記載があります。

カディブックスは、
簡素に、身軽に、ゆるやかに、
力を使わず、お金を使わず、
常に変わり続けることを方針にする
小さな出版社です。

拠点は日本のはしっこ
与那国島にありますが、
あちこちに在住するスタッフによって、
一枚の布を織るように本を作っています。
「カディ」とは与那国語で「風」のこと。
やわらかく、目立たないものの中にある
未来の風を感じています。

出典 : kadibooks はしっこの島の小さな出版社

スモールプレスやリトルプレスなど、少数の本を届ける出版活動が増えてきた流れのなかでカディブックスも生まれ、まずは100冊ずつ作り、在庫がなくなってきたら、また100冊作る、といった形を採用しているそうです。

小さく、自由に、まずは100人の読者に届けるように、これが、カディブックスという与那国島の出版社の本を出版することに関する哲学のようです。

カディブックスからは、現在、『馬語手帳』と『はしっこに、馬といる』、それから、冒頭に触れた、『くらやみに、馬といる』の三冊が出版されています。

画像 : 河田桟『馬語手帳』|kadibooks

この『馬語手帳』は、そのタイトルの通り、馬の鳴き声に限らない、仕草や動きのようなボディランゲージによるコミュニケーション、すなわち「馬語」に関する本です。

この本は、馬語の世界へとつながっています。
といっても、ほんの入り口にしかすぎません。
あくまでも人間であるわたしが、
「どうもこういうことかもしれない」と
翻訳して書き留めた覚え書きのようなものです。

出典 : 『馬語手帳』|kadibooks はしっこの島の小さな出版社

その『馬語手帳』の続編として刊行されたのが、与那国島での馬との暮らしのなかで培われた馬とのコミュニケーションについて書かれた『はしっこに、馬といる』という本です。

画像 : 河田桟『はしっこに、馬といる』|kadibooks

東京で本に携わる仕事をしていた作者の河田さんは、ひょんなことから人生の目の前に馬が現れ、馬のいる与那国島と東京を行ったり来たりするようになり、そして、あるとき、野生の群れからはぐれたというみなしごのメスの仔馬と出会います。

これまで乗馬も習ったことがなければ、大きな生き物と暮らしたこともなかった河田桟さんですが、東京を引き払い、与那国島で、その仔馬のカディと一緒に暮らすことを決めます。

この『はしっこに、馬といる』は、そのカディとの個人的な結びつきのなかで培われた馬とのコミュニケーションに関する本です。

与那国島の自然の中で、
相棒のウマと暮らしているうちに見えてきた、
これまでとはちがうコミュニケーションの形について、
とても個人的な視点から書いています。

ヒトが答えを決めて、
それに添うようウマに動いてもらうのではなく、
ウマの話に耳を傾けながら、
一緒に考え、一緒に答えを探していく、
静かなコミュニケーションです。

強くならずとも、ウマとつきあうことはできますよ、
そこにはものすごく豊かな世界が広がっていますよ、
と、だれかに伝えたくて、この本を作ったのかもしれません。

出典 : 『はしっこに、馬といる』|kadibooks はしっこの島の小さな出版社

それから、三冊目に出版されたのが『くらやみに、馬といる』で、サイズ的にはとても小さくて横長の本です(本のケースは縦長になっています)。

画像 : 『くらやみに、馬といる』|kadibooks

内容は、暗闇のなかで馬と過ごしているときに感じたことをまとめたエッセイで、ときどき暗闇で撮った馬の写真が挿入されています。

与那国島でのカディとの暮らしのなかで作者がとても大切にしている日課に、夜明け前にカディと暗闇で過ごす、というものがあり、その暗闇の世界でのカディとの空間の共有を通して培われた感覚が、個人的な文章表現として描かれています。

ただ、個人的ゆえに、より深い内容になっていると言えるかもしれません。

病気を患ったために、生きるエネルギーの弱った作者、弱ってから気づいた、普通の暮らしというものが、実はものすごいエネルギーを必要していること。

明るい世界一つとっても、光はエネルギーを消耗します。色、音、そういった刺激のなかに存在することそのものが、体にとって負担になる。人として存在し、人を相手にコミュニケーションを取ることも、どれだけエネルギーを使っていたか、もとから苦手だったものの、体が弱ることで、よりはっきりとわかったそうです。

そして、だからこそ、暗闇のなかで馬と接しているときの「自分」という存在の居心地のよさも見えてきたのかもしれません。

あかるい場所になじめなかったり、異種の生き物に近しさを感じる人は、きっと私のほかにもたくさんいるでしょう。あなたと私のくらやみは違うものですけれど、でも、境界のないくらやみのこと、もしかしたら、どこかでひそやかな小道がつながっているかもしれません。(あとがき)

出典 : 河田桟『くらやみに、馬といる』

暗闇と馬と自分、境界線がとけていく、その世界を綴った詩のような、哲学のような、不思議な一冊です。