帰納法と演繹法の覚え方
大抵の場合、物事を考え、ある結論に達した際には、その結論に至った「理由」があります。
そのとき、「感覚」や「直感」、「経験上なんとなく」という場合もあれば、「論理的に考えて」こういった結論に達した、という場合もあるでしょう。
単純に好き嫌いであれば感覚でいいかもしれませんが、会社のプレゼンなどで、この結論に至った理由を、説得力を持って説明する必要がある際には、論理的なほうが、より相手に伝わることもあるでしょう。
私はこういう風に考える、という結論に関し、説得力を持って相手に伝える際にも活用できる論理的な思考法として、帰納法と演繹法という方法があります。
帰納法と演繹法。
あまり馴染みのない言葉なので、覚えづらいかもしれませんが、帰納法にせよ、演繹法にせよ、両方とも、「こういう理由ゆえに、こういう風な推論に至った」という結論に導くための論理的な思考方法を指します。
以下、帰納法と演繹法の意味や違い、覚え方などに関して、なるべくわかりやすく解説したいと思います。
帰納法の意味
まず、帰納法とは、「様々な事例や事実をもとに、一般的な法則を導き出す推論方法」を意味します。
帰納法
経験・実験等によって個々の具体例から普遍的な結論を導きだす思考方法(旺文社世界史事典)
なんだか難しい言い回しですが、ざっくり言えば、様々な事例や事実、すなわち、Aという事実がある、Bという事実がある、Cという事実がある、この「A」と「B」と「C」に共通する一般的な法則を導き出し、「こういう推論に至った」と思考することが、帰納法です。
これだけ見ると、ちょっと難しいかもしれませんが、具体例を見れば、実際は誰でも割と自然に行なっていることだと分かるでしょう。
帰納法の具体的な例として、たとえば、「ハチミツが体に良い」という推論に関する解説があります。
例えば、「今朝テレビでハチミツの効能について報道していた。また、同僚のA君も毎朝ハチミツを摂取していて体調がよくなったとのこと。他にも、定期購読している雑誌の中でハチミツが体に良いと紹介されている。よってハチミツは体調の改善に効果がありそうだ。」という考え方の場合、「テレビでの報道」「同僚の体験談」「雑誌の記載」といった事象を総合して「ハチミツが体に良い」という結論を導き出しています。
このように、複数の具体的事実から同一の傾向を抽出して、結論(推論)に持っていくのが帰納法です。
これを読むと、日常にありふれた、ものすごくシンプルな思考法ではないでしょうか。
一つの情報源ではなく、「複数の具体的事実、経験」などから、ある一つの傾向を抽出し、結論を導き出す、という推論が、帰納法というわけです。
この場合は、「今朝のテレビ」「同僚の体験談」「定期購読している雑誌」の三つを参考に、「ハチミツが体に良い(のだろう)」という結論に至ります。
一つだけだと弱いかもしれませんが、三つとなれば、伝える際にも、より説得力が増すでしょう。
また、別の例で言えば、「ミネソタの冬は寒い」という結論に至る過程で用いられる、帰納法的な思考が紹介されています。
帰納法では、実世界における個々の事象の観察結果からパターンを見出し、一般的な結論を導く。
たとえば、あなたが私の地元ミネソタを毎年1月に訪れているとして、毎回気温が零度をはるかに下回っていたら、「ミネソタの冬は寒い」という結論に達するだろう。
実世界の個々の事象を観察したのち、経験から得られた観察結果に基づいて、大局的な結論を導いたのである。
あくまで、この結論というのは「推論」ですが、この推論を誰かに説明する際にも、様々な事例や事実をもとに説明することで、その推論に説得力を持たせることが可能です。
会社の会議などで、「あなたが、こういう結論に至った論拠を教えてくれ」と言われた際に、様々な事実やデータなどを並べ、共通する傾向を抽出し、「それゆえに、こういう結論に至った」と説明すれば、最初は疑っていた相手も、「確かに、そうかもしれない」と納得するかもしれません。
ただし、偏った事例を集めても、それは必ずしも精度が高い論拠とは言えません。
また、現実的にあらゆる事例を網羅して集めるということも難しいでしょうから、「確率的に、その可能性が高いはずだ」というレベルに止まる、というのが、帰納法の欠点と言えるでしょう。
先のハチミツの例で言えば、テレビのAという番組と、テレビのBという番組と、テレビのCという番組で、「ハチミツが体に良い」と放送していたから、それゆえ「ハチミツが体に良い」という結論を提示しても、説得力はそれほどあるとは言えないでしょう。
テレビという一つの媒体に過ぎませんし、どの番組にも同じ専門家が出演しているかもしれません。番組のスポンサーがハチミツ会社かもしれません。
その点からも、なるべく多角的に、信憑性のある事実や経験を集めたほうが、結論の説得力が増すでしょう。
この帰納法を最初に説明したのは、古代ギリシャ哲学のアリストテレスだそうです。そして、その後、13世紀のロジャー・ベーコンや、16世紀のフランシス・ベーコンといったイギリス人思想家が一般に広め、後世で帰納法的な思考に特に親しんでいるのがアメリカ人だという指摘もあります。
この「帰納」という日本語の由来を辿ると、英語inductionの訳語として登場し、最初に日本で翻訳されたのは、明治時代のこと。思想家の西周が翻訳し、紹介しています。
西周による、帰納法に関する解説の現代語訳によれば、ニュートンが万有引力を発見した際のリンゴの逸話も引きながら、石も、木の葉も、綿も、鉛も、地面に落ちることから、「なんであれ地面に落ちる」ということが真理の一つである、という風に帰納法的な推論について解説します。
「事実(fact)」というものがある。何事であれ、多くの事例を集めて、それらの事例に〔通底している〕真理が一つであることが分かるということだ。
例えば、いま試しに石を投げれば地面に落ちる。木の葉を投げても地面に落ちる。綿を投げても、鉛を投げても、鉄を投げても、ことごとく地面に落ちることが分かる。
これはつまり「事実(fact)」であり、なんであれ地面に落ちるということは、真理の一つなのである。
これまでの解説と同様に、帰納法が、様々な事例や事実を集めた上で、一つの共通項を抽出し、一つの真理に至ろうとする過程である、ということが、西周の説明からも伺えるでしょう。
演繹法の意味
それでは、もう一つ、帰納法と対になる思考法として語られる、演繹法とは、どういったものなのでしょうか。
帰納法の場合は、様々な事例や事実から、共通するものを抽出し、結論を導き出す、という発想でしたが、演繹法の場合は、まず誰もが疑いようのない「一般的かつ普遍的な原則」を前提とし、考えを展開していく、という思考法となります。
たとえば、「すべての生き物は死ぬ」という一般的な原則を置き、そして、「人間は生き物である」という事実がある。この二つから考えれば、「すべての人間は死ぬ」という結論に至ります。
すべての生き物は、死ぬ。
人間は、生き物である。
ゆえに、すべての人間は死ぬ。
この演繹法という思考法は、フランス生まれの哲学者のルネ・デカルト(1596〜1650)が提唱します。
デカルトの提唱した「演繹法」とは、疑いようのない普遍的原理から論理的推論によって個別の事柄を導く方法のことです。
代表的なものは三段論法というもので、大前提・小前提・結論によって事柄を説明します。
例えば、大前提で「すべての生き物は死ぬ」、小前提で「人間は生き物である」とすると、結論は「すべての人間は死ぬ」ということになります。
他の具体例としては、たとえば、「野菜は、栄養が豊富だ」「大根は、野菜である」ゆえに、「大根は栄養が豊富だ」という結論が導き出されます。
ただ、この演繹法の欠点としては、相手を説得しようとする際、その前提が間違っていたり、相手と共有できていないと、論理的に説明したとしても誤っている、あるいは伝わらない、という点が挙げられるでしょう。
この「ずれ」を、わかりやすく身近な例で言えば、「猫って可愛いでしょ。可愛いものと一緒に生活していると癒されるでしょ。だったら猫を飼うしかないでしょ」と相手を説得しようとしても、もし、相手が猫を可愛いと思っていなかったり、可愛いものと一緒に生活していることを癒しと感じなければ、その「前提」が共有されていないので、「猫を飼うしかない」という結論も説得力を持ちません。
また、先入観や偏見によって前提を決めつけ、論理を展開していくと、説得力がない、誤った結論に至ってしまう、といった欠点も挙げられるでしょう。
演繹法の欠点は、正しくない、あるいは使用するのが適切ではない前提を用いてしまうことがあることです。
先入観や偏見に基づいた間違った前提を適用してしまう場合や、ある限定された範囲でのみ正しい前提を全体に適用してしまうような場合などがそれにあたります。
先ほど、帰納法的な思考はアメリカで浸透しているという話でしたが、この演繹法に関しては、主にヨーロッパ大陸で発展した発想法だと言われています。
演繹という日本語は、帰納と同じく、西周が翻訳した明治の翻訳語の一つで、英語では、「deduction」と言います。
induction = 帰納 deduction = 演繹
帰納法と演繹法の覚え方
帰納法と演繹法は、日常的に使う言葉でもありませんし、漢字もそれぞれ意味合いが分かりづらいことから、どっちがどっちなのか、忘れてしまうことも多いかもしれません。
まず、帰納法と演繹法の違いを、もう一度振り返ってみましょう。
帰納法は、様々な事実から、共通項を抽出し、推論を導き出す思考法です。
演繹法は、すでに確立されている一般的な法則の組み合わせによって結論を出す思考法です。
ざっくりとした覚え方としては、「Aくんも言っていた」、「Bという情報源でも書いてあった」、「海外の専門家のCも主張している」など、たくさんの事例や事実から一つの結論を導き出す「帰納法」は、相手が「納」得しやすいので、帰「納」法、と覚えるとよいでしょう。
また、帰納法に関しては、色んな人やメディアで「ハチミツが体に良い」と言っていた、という具体的なイメージを想像してもよいかもしれません。
あるいは、語呂合わせとして、「昨日」あったことをいくつも並べ、「だから昨日は、楽しい(悲しい)一日だった」と言える、といった覚え方もよいでしょう。
演繹法の覚え方としては、言葉の成り立ちから、覚えてみるのもよいでしょう。
一文字目の「演」は、演説や講演という熟語もあるように、訓読みで「演べる」という「自分の考えをおし広める」といった意味の言葉で、後半の「繹」は、糸へんもあるように、「糸口から糸を引き出す」という意味です。
この糸口(物事を展開させるきっかけとなるもの)から、糸を引き出す、というイメージが、前提から論理展開していく「演繹法」だと捉えると覚えやすいかもしれません。
以上、帰納法と演繹法の意味や違い、覚え方などの解説でした。