日本文学

わたしくといふ現象は─宮沢賢治と心象スケッチ

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わたしくといふ現象は─宮沢賢治と心象スケッチ

わたくしといふ現象は 
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

概要と解説

心象スケッチと春と修羅

作者の宮沢賢治は、岩手県花巻市出身で、明治から昭和初期にかけての詩人・童話作家です。

仏教への信仰と、農民生活を根っこに据えて創作を行なった作家として知られています。

『銀河鉄道の夜』の冒頭と、ハレー彗星の話『銀河鉄道の夜』の冒頭と、ハレー彗星の話 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼ...

生前は二冊の本しか出版しておらず、そのうち唯一発表された詩集(賢治本人は「心象スケッチ」と呼んだ)が、『春と修羅』です。

賢治自身は、詩集と呼ばれることをあまり好まなかったようで、友人に宛てた手紙のなかで、「これらはみんな到底詩ではなく、心象のスケッチでしかない」と書いています。

前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。

宮沢賢治の手紙 1925年(大正14年)2月9日 森佐一あて封書

宮沢賢治にとって、この「心象スケッチ」という言葉は、重要なキーワードとして登場します。

心象スケッチとは、単純に個人の心のうちを描く、といったことにとどまらず、人間の心象が宇宙や無限の時間と繋がったものと考え、個の心象が個を超えて普遍に繋がる、こうした心象をスケッチする、ということを意味します。

わたくしといふ現象は

その心象スケッチとして記された『春の修羅』は、収録された作品数が全部で69編。

そして、その作品に加え、「わたくしといふ現象は」という冒頭で有名な「序」という構成になっています。

以下は、宮沢賢治『春と修羅・序』の全文です。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

宮沢賢治『春と修羅』

宇宙的・宗教的な、さまざまな領域を縦横無尽に飛び交うような『春と修羅』の序文。

その序文のうち、冒頭と最後に関して、『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』の解説を参考にして簡単に紹介したいと思います。

まず、「わたくしといふ現象」という表現がありますが、これは「私」というのが、「確固とした存在ではない」ということを意味します。

明確で固定的な「私= I 」として存在するのではなく、もっと捉えがたい、青い照明のように、風景やみんなと一緒に明滅を繰り返すような「現象」だというわけです。

そのために、「私」を、「わたくしといふ現象」と賢治は表現します。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

このとき、我々を明滅させ、灯り続けることを可能とする電気エネルギーのような力とは何になるのでしょうか。

それは具体的な「神」として存在するものというより、もっと別の「何か」なのではないか、と考えたのでしょう。

賢治は、「わたくしといふ現象」を深く深く考えることは、この世、そして宇宙を司(つかさど)る何かの力と結びついていくことだと考えました。

心象をスケッチする、すなわち自分の心を言葉で書くということは、宇宙の真理を探求することにつながるのだということです。自分の心の奥へ奥へと向かっていけば、広い宇宙へとつながるのです。

出典 : 宮沢賢治の「心象のスケッチ」とは

今ここにある「わたしくしといふ現象」、この現象について深く深く考えることが、この宇宙を司る「力」と結びつくことだと、賢治は考えます。

そして、『春と修羅・序』は、「第四次(元)」という言葉で締めくくられます。

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

四次元の世界とは何か、これは「時間」を指します。

賢治が、賢治自身の内奥を潜っていって描く心象風景は、今という世界のなかに限定されたものではなく、いつの時代にも、常に新たに生まれるものとして、四次元の世界で生き残れる言葉である、ということを、「序」のなかで伝えたかったのかもしれません。