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雑学

LINEの句点(。)で「怒ってる」「怖い」と思われる心理

LINEの句点(。)で「怒ってる」「怖い」と思われる心理

句点が怖い、という感覚

LINEなどメッセージアプリのやりとりで、句読点、特に句点(。)が文末についているときの捉え方に、世代間で「違い」が生じている、という話があります。

その違いというのは、たとえばLINEのやりとりで最後が句点で終わっていると、「怒ってる」のではないかと不安になったり、「怖い」「冷たい」といった印象を抱く若者が少なくない、ということです。

これは、上司と部下のような仕事上の関係性など、世代差がある際のやりとりで生じることが多いと考えられます。

別に句読点を多用したり、句点で終わっているからと言って、怒っているわけでもなく、年配の人からすると寝耳に水で、あくまで文章の一つの作法として句読点をつけただけ、という場合も多いのではないでしょうか。

しかし、若者にとっては、LINEなどの句点は、怒ってる、怖い、冷たい、といったように、ある種の「壁」を感じる、ということがあるようです。

なぜ、こういった捉え方のすれ違いが生じるのでしょうか。

また、もし実際に、怒っているときに句読点を使うというようなことがあるとすれば、それはどういった心理が考えられるでしょうか。

以下、このLINEの句読点のすれ違いの原因について解説したいと思います。

なぜ、句点が冷たく感じるか

認識の違いの大きな理由として考えられるのは、主に若者のほうが、LINEや、あるいはX(Twitter)、インスタのDMなどを、言ってみれば「会話」の延長線上と捉えていることが多い、ということが言えるでしょう。

チャットもそうですが、「会話」が軸にあるので、その結果、あまりに「文章」めかした形式で、句読点が多用されることは基本的にありません。

一方、年配の人は特に、このメッセージアプリを、「手紙」や「メール」の流れで捉えているために、メッセージの書き方も、「文章」といったニュアンスが強くなるのでしょう。

結果として、一方では「会話」のつもりで活用し、一方では手紙やメールなど「文章」のつもりでコミュニケーションを取るというすれ違いから、この句読点による問題が起こっている、ということが考えられるでしょう。

LINEなどのメッセージアプリにおいて年長者たちは「~ですか。」「わかりました。」など、きちんと句読点を使う。口語表現であろうが“文書”であれば当然あるべき句読点を使っているだけでそれ以外の他意はないのだが、一方で若者たちはそれらに「詰められている」「追及されている」「批判されている」という印象をうけている。

このような句読点に対する印象とニュアンスのズレは、若者層と年長者の間ではLINEをはじめとする「メッセージアプリ」に対する基本的な認識が異なっているからこそ生じる。

すなわち、若者たちにとってそれは「会話の一形態」であるのに対して、年長者たちは「簡易版メール」のような感覚を持っていて、つまり手紙やメールの延長上にある「文書送信の一形態」なのである。

句読点は文章作成において使われるツール(あるいはルール)であって、日常のくだけた会話では必ずしもそうではない。

若者からすればLINEで仲良く和気あいあいと「会話」することを想定しているチャンネルで唐突に「文」を突き付けられたような気分になって、たじろいでしまうのである。えっ⁉ なんでいきなり“文章”を送ってくるの⁉ といった具合に。

出典 : 中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由|プレジデントオンライン

まさに、会話の空間のなかで、「文章」が入っていることによって「硬さ」が生まれ、その「硬さ」が、批判や不機嫌、強圧的、といった解釈に繋がってしまう、という側面があるのでしょう。

別に、どういった使用法が正しい、ということもありませんし、この記事のなかでも記載があるように、特に年配の人が若者に合わせて句読点を減らす、といった必要もないでしょう。

ただ、年配の人からしても、若者が「会話」だと思い込んで発すると、ちょっと礼儀がなかったり、距離感が近い、といった感じ方をするかもしれず、そのため、LINEなどメッセージアプリの捉え方に違いがある、という可能性に関しては、把握しておいたほうがよいかもしれません。

ちなみに、海外でも、同様の傾向が見られ、英語圏でもメッセージがピリオドで終わると、Z世代は怒っていると感じる、といった話もあるようです。

気軽な会話空間のなかで、しっかりピリオドで終わると、断言的な強いニュアンスが加わるのかもしれません(参照 : LINEで「。」を使わない人が多いのはなぜ?→若い世代は句点を使うと「怒っている」と感じるから→実は海外でも同じ現象が起きていた話)。

以前、アメリカの若者のあいだで「インターホン恐怖症」が生じている、といった記事を読んだことがありますが、若い世代は、情報化社会やストレスの影響もあってか、かすかな変化を察知しやすかったり、揺らぎやすく、繊細さが増していっている、という側面もあるのかもしれません。

友達同士で、句読点がついたら…

それから、若者同士で、同じように「会話」という捉え方をしながら、突然、句点(。)を使うようになる場合もあると思います。

普段は、句読点なしで気軽にやりとりしていた相手が、急に、きっちりした書き方になり、句点が使われたら、その場合は、怒ってる、あるいは、ちょっと距離感を保ちたい、という心理が働いていることもあるでしょう。

句読点をつけたり、敬語を使ったり、といった形にすることで、相手と少し距離を隔てる、という効果があります。

そんな風にして、多少なりとも壁を置くことによって、ちょっと突き放したり、または、「親しき仲にも礼儀あり」ではありませんが、お互いに冷静になりたい、という理由から、わざと使っていることもあるかもしれません。

どうしても、LINEやチャット風のDMだと、会話のなかでの素早い応酬となり、感情がお互いにエスカレーションし、激しい喧嘩に発展しやすくなる側面があります。

もちろん、言葉遣いであったり、句読点であったり、といったことを気をつけることによって、少し冷たく、よそよそしく感じる面もあるかもしれませんが、近すぎることで喧嘩になることを避け、「距離感を保つ」という意味では、重要なコミュニケーションの作法とも言えるかもしれません。

もしLINEなどでつい感情的になって喧嘩を繰り返してしまうようなら、LINEでのやりとりはいったん休止、ないしは減らし、より文章に近い「メール」や、「手紙」など、一呼吸ついてゆっくりと考えられる方法に切り替えてみる、というのも一つでしょう。

コミュニケーションが速く、感情が振り回され、刺激し合ってしまうので、既読や未読といったことも気にせずに、ゆったりと、落ち着いたなかでやりとりをする、というのが重要になってくるかもしれません。

また、もしかしたら、突然句点をつけることで、ちゃんと強い意思を持って、こういうことが言いたいんだ、という思いが込められている場合もあるかもしれません。

私は、こう思っているんだ。そういう主張や思いの強さが、句点に現れている、ということもあり、句読点一つでも、表現のニュアンスが変わり得るのが、言葉の面白さとも言えるでしょう。

以上、LINEなどの句読点による認識の問題でした。