いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ 石川啄木
〈原文〉
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
〈現代語訳〉
命のない砂の儚くも悲しいことよ 握れば指のあいだからさらさらと落ちていく
概要と解説
作者の石川啄木は、岩手県生まれの明治時代の歌人で、結核のために26歳で亡くなります。
中学時代から文学の道を志し、成績の悪さなどから中学を退学。その後、住む場所や職を転々としながら紆余曲折を経て、上京後、歌集『一握の砂』を発表します。
この「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」という一首も、『一握の砂』収録の短歌です。
命のない砂。その砂を握ったら、指のあいだからさらさらとこぼれ落ちていく。
この指のすきまからこぼれ落ちる砂の描写は、なんとなく「砂時計」のイメージとも重なります。
砂時計を見ていると、砂がさらさらと落ちていく光景に、決して逆戻りすることのない時間の流れや儚さ、無力感のようなものさえ伝わってきます。
啄木の短歌では、その落ちていく砂の一粒一粒が、時間の流れであるというだけでなく、ひとりひとりの人間の命という風にも解釈できるかもしれません。
いずれにせよ、こぼれ落ちていく砂の儚さに、命の儚さや諸行無常の世界を表現している作品と言えるのではないでしょうか。
この一首は第三句の「さらさらと」という表現が効果的で、はかない砂に託して己が生命を哀惜する作者の虚無的な心情が歌われており、歌集『一握の砂』の書名を暗示する秀作である。
出典 : 『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』
この映像描写は、歌集のタイトルとなっている『一握の砂』のイメージとも重なるものでしょう。
また、この「いのちなき砂のかなしさよ」という歌以外に、『一握の砂』のタイトルの由来となったとされる短歌に、同じ連作のなかの「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」があります。
この歌は、現代語訳すると、「頬に伝う涙を拭うことなく、一握りの砂を示してくれた人のことを忘れない」という意味になります。
一体、「一握の砂」とはなんなのでしょうか。
無数の海の砂から、一握りした砂を示す。しかも、涙を流しながら、その涙を拭うこともせずに一握の砂を示す、ということから、たとえば、詩や短歌など「表現」の比喩になっているのかもしれません。
涙を拭わずに(もっと言えば、涙の表現として)数々の短歌を示してくれた人たちのことを、啄木自身が、忘れない、ということでしょうか。
それも一つの解釈に過ぎず、この「砂」が指し示すものとしては、他にも様々な要素が込められているのかもしれません。
