日本文学

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり『土佐日記』 意味(現代語訳)

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男もすなる日記といふものを 紀貫之『土佐日記』冒頭

〈原文〉

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

〈現代語訳〉

男のひともするという日記というものを、女の私も試しに書いてみようと思う。

概要と解説

男もしている日記を女の私もしてみよう、と男が書いている、という不思議な書き出しの『土佐日記』。

子供の頃、教科書かなにかで教わり、なんでそんなことをするんだろう、と素朴な疑問を抱いた記憶があります。

作者は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人の紀貫之。

紀貫之は、あえて女性のふりをして「男もすなる日記といふもの」を書こうと試みるわけですが、一体なぜ、そんな手の込んだ演出をしたのでしょうか。

当時、冒頭の一文にあるように日記というのは一般的に漢文で書かれる男性官人による公務の記録のこと。

一方で、当初女性によって用いられたひらがなは、会話や和歌を描写することに長けていますが、和歌では男性も使うものの日記では使われませんでした。

その女性が使うひらがなの特性を活かし、繊細で情緒的な新しい日記文学の形に挑戦してみようという狙いが、紀貫之にあったのではないかと考えられています。

『土佐日記』ではなく『土左日記』という表記は「フィクション」の証か『土佐日記』ではなく『土左日記』? 鎌倉時代、紀貫之が書いたひらがなを使った日記である『土佐日記』。「男もすなる日記といふものを、女も...

京の都を離れ、土佐の国司として赴任した紀貫之は、5年経ってから帰京。この京都の自宅に着くまでの55日間の旅路から着想を得て『土佐日記』を執筆します。

日記とあるものの、フィクションなども混じり、必ずしも実話というわけではなかったようです。

文章は、「男もすなる日記といふものを」の冒頭文のあと、「それの年の、十二月の二十日あまり一日の日、戌の時に門出す。そのよし、いささかものに書きつく」と続きます。

現代語訳は、「ある年の十二月二十一日午後八時頃に出発する。その旅の様子を少しばかり書きつける」。旅の日記はこうして始まります。

ちなみに、『土佐日記』が綴られた頃というのは、大体いつ頃のことだったのでしょうか。

紀貫之が土佐の国司だったのは930年から934年までの期間で、『土佐日記』の制作年も、任期を終えた934年頃だったと考えられています。

執筆時の紀貫之の年齢も正確には分かっていませんが、だいたい60代半ばくらいだったようです。