万葉集とは〜由来や最初の歌、『君の名は。』の短歌など〜
成立時期や特徴
教科書などを通じて、誰もが名前を聞いたことがある有名な歌集と言えば、『万葉集』が挙げられます。
万葉集とは、現存する日本最古の歌集で、全部で約4500首の歌が収録され、全20巻となっています。詳しい成立年は分かっていませんが、時代的には、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれ、奈良時代末頃に成立したと考えられています。
万葉集に収録されている歌のなかで、制作された年代の明らかになっている一番新しい歌は、大伴家持の759年(天平宝字3年)正月の作品なので、最終的な編纂は、その年以降となります。
万葉集がなぜ作られたのかといった成立背景や編纂の経緯も、詳しくは不明で、おそらく一人の編者ではなく、複数人の編者の手によって成立し、最終的な編纂は、公卿で歌人の大伴家持が担ったと考えられています。
万葉集に収められている大伴家持の和歌は、長歌、短歌を合わせて473首で、全体の1割以上を占め、万葉歌人のなかでも一位の数となります。
その他、万葉集の作者に関しては、天皇から農民まで幅広く、有名な歌人だけでなく庶民や作者不詳であっても優れた歌であれば収録されていることが特徴の一つです。詠まれる歌の題材も、宴会で謳われた歌、恋愛に関する歌、家族、別離、旅、労働、農民歌など多様で、詠まれた地域も東北から九州まで日本各地に及んでいます。
また、万葉集の時代にはひらがながなかったことから、歌は全て漢字の音を借りた当て字で表記され、たとえば、「ひ」は、「日」や「非」や「比」などが使われています。
こういった使い方は6世紀頃から用いられていましたが、万葉集での用法が多彩であったことに由来し、「万葉仮名」と呼ばれています。そして、9世紀になり、万葉仮名から、ひらがなやカタカナが創案されます。
『万葉集』には庶民の歌も多く登場する。それらは本来、歌垣(人が垣根のように並んで歌を掛け合う)で歌われた即興歌や、東国の民謡、労働歌などだ。もとより、民衆に文字を書く能力はない。これらの歌はほとんど、役人らが筆録したものである。また額田王ら初期の歌も、筆録者が別にいた。
その筆録方法が独特だ。『万葉集』の歌は、原文ではすべて漢字で記されているが、漢文ではない。文字を持たなかった古代日本人は、歌の表記に中国から移入した漢字を用いた。日本語の一音に、漢字の音を借りて当てたのである。これがいわゆる万葉仮名だ。
万葉集の代表的な歌人としては、大伴家持以外に、額田王、柿本人麻呂、高市黒人、山部赤人、山上憶良、高橋虫麻呂、大伴旅人などが挙げられます。
万葉集の代表的な短歌としては、「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事(大伴家持)」「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)」「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ(柿本人麻呂)」などがあります。
書名の由来
万葉集(萬葉集)、という書名の由来に関しては、複数の説があり、定説とされるものはまだありません。
①「葉」が「言の葉」を意味し、「言の葉」とは「歌」を指し、多くの歌の集、ということに由来する説。
②「葉」が「世」を意味し、万世(永久)に伝わっていくべき集ということに由来する説。
その他、この①と②の両者の意味を含んだ折衷説などがあります。
原本
万葉集の原本も、まだ発見されていません。
現存しているものは、すべてが写本であり、最も古いものは、平安時代中期の「桂本万葉集」です。
ただし、この写本は一部が残っているのみで、20巻全てが揃った形の写本で最古のものは、鎌倉時代後期の「西本願寺本万葉集」と呼ばれている写本になります。
最初の歌
万葉集の冒頭を飾る歌は、5世紀後半の雄略天皇の御製歌で、短歌ではなく長歌です。
長歌とは、和歌の形式の一つで、短歌が五七五七七のリズムであるのに対し、長歌は、基本的に五音と七音を三回以上反復し、最後に七音の句で締める形式となっています。
以下が、雄略天皇による万葉集の最初の歌です。
〈原文〉
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち
この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らせね
そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ
しきなべて 我れこそませ
我れこそば 告らめ 家をも名をも
〈現代語訳〉
籠も、美しい籠を持ち、掘串も、美しい掘串を持ち、
この丘で菜を摘んでおられる娘よ。家と名前を聞かせておくれ。
この大和の国は、すべて私が治めている。
隅々まで、私が支配しているのだ。
まずは私こそ、家も名も教えよう。
この掘串というのは、土を掘るのに使った竹や木で作るへら状の道具を意味します。また、そらみつは、やまとにかかる枕詞です。
素敵な籠やへらを持って大和の丘で菜を摘んでいる乙女に、その持ち物を褒めたあとで娘の名を問う様子が描かれています。古代、名前を尋ねることは求婚を指していたことからもわかるように、万葉集は、天皇の求愛を詠んだ歌から始まります。
ちなみに、万葉集の最後の歌は、大伴家持の短歌、「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」です。
現代語訳すれば、「新しい年の初めの初春の今日降っている雪のように、いよいよたくさん積もれ、よいことよ」となり、豊作の兆しとされる新年の雪と重ねて、正月にこれからの吉事を祈った歌です。
これは、万葉集の最後の歌でもあり、また家持自身にとっても最後の歌とされています。
映画『君の名は。』と万葉集
『君の名は。』予告編
2016年に大ヒットした新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』では、作中、万葉集の和歌が登場するシーンがあります。
主人公の一人が受けている古典の授業で、日が暮れて人の顔が見分けづらくなる夕暮れどきを意味する黄昏時について先生が話すシーンで描かれる、黄昏時の語源となったと言われる恋の歌です。
誰そ彼と我を名問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我を
歌の作者は不明で、現代語訳すれば、「誰なのか、あれは、などと私の名を問わないでください、秋の深まる九月の雨に濡れながら、愛しいあなたを待っている私の名を」という意味になります。
おそらく主人公は若い女性で、秋の深まる旧暦の九月の露に濡れながら、恋する男性のことを待っているのに、誰だあれは、などと言わないで、という片思いの歌なのかもしれません。
現代でも使われる「黄昏時」は、人の顔が見分けのつかないほど暗くなっていることから、この「誰そ彼」が語源とされ、一般的に夕方を意味するのに対し、明け方は、「かはたれ時」と言います。
このかはたれ時の語源も、「彼は誰ぞ」であり、薄暗く人の顔の区別がつかない時間帯という意味合いから使われるようになります。もともとは、それぞれ夕方も明け方も両方使っていたようですが、今は、黄昏時が夕方、かはたれ時が明け方という使い分けがされることが多くなっています。
新海監督は、『君の名は。』の前作である『言の葉の庭』でも万葉集の歌(雷神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ)を取り入れていますが、現代において万葉集が注目されていることに関して、次のように語っています。
令和になっても万葉集が人々を魅了するというのは、やっぱり人間の形っていうのは千年ぐらいの単位だと根本的には変わらないんだなと思う。
天皇が恋をする歌とかがあるわけですよね。それが今、僕たちが感じている片思いの苦しさと一緒なんだっていう驚き。片思いは苦しいんだよ、昔から苦しいんだよっていう風に言ってもらえれば、自分の今の苦しさが、完全に孤独ではないんだっていう風に教えてくれる。
もともと大学時代に、文学部で国文学を専攻していたこともあり、万葉集には親しみがあったようです。
元号「令和」の由来としての万葉集
平成が終わり、新しい元号となった「令和」ですが、この令和という言葉も、万葉集が由来となっています。
令和の由来となったのは、万葉集の梅花の歌三十二首の序文にある、「初春の令月にして気淑く風和らぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫らす」という一節です(原文は漢文体で、「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」)。
この一節を分かりやすく現代語訳すれば、以下のような文章となります。
新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。(訳者 : 文学者の中西進氏)
初春のめでたい月、空気は清らかで風も穏やか、梅は鏡の前で白粉をつけた美人のように白く咲き、蘭(藤袴)は身に帯びた匂い袋のように薫っている。(訳者 : 文学者の吉海直人氏)
これは730年(天平2年)の正月、大宰府に赴任していた大伴旅人の邸で梅花の宴が開催された際に歌われた、「梅花の歌三十二首」の序文として書かれたものです。
序文の作者に関しては不明ですが、大伴旅人説、山上憶良説などがあります。
この序で用いられる「令月」という言葉は、夜空に浮かんでいる月ではありません。令月とは、「①何事をするにもよい月、めでたい月」と「②陰暦2月の異称」の二つの意味があり、この場合、お正月なので、①の意味となります。
この一節から、「令」と「和」を採り、西暦で言えば2019年の5月1日より、「令和」という元号となります。
以上、万葉集の由来や時代、特徴でした。