夢野久作の名前の由来と、ドグラマグラの意味
夢野久作とは
夢野久作は、1889年に福岡で生まれ、1936年に亡くなった日本の禅僧であり小説家です。死因は脳溢血で、47歳で急死します。
夢野久作
夢野久作は、福岡で生まれ育ち、一年志願兵として近衛師団に入隊。除隊後に、文学や絵画への興味から、慶應義塾大学予科文学科に入学。歴史を選考し、のちに中退します。
その後、新聞記者を経て、ルポや童話を書くようになり、次第に作家の道を進んでいくようになります。
夢野久作のデビュー作は、『あやかしの鼓』で、代表作としては、構想に10年の歳月をかけて執筆されたという『ドグラ・マグラ』があります。
そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。
出典 : 夢野久作『ドグラ・マグラ』
夢野久作という名前はペンネームで、本名は杉山直樹(出家名は杉山泰道)と言います。
この「夢野久作」という一風変わった名前は、福岡の博多地方に古くから伝わっている伝説上の人名で、「ぼうっとしている人」「いつも遠いところばかり見ているような人」「夢見がちな変人」といったことを意味する言葉に由来するようです。
この人名は、たとえば、「夢野久作さんのようだ」といった使い方がされます。
実際、処女作を雑誌に送った際、夢野久作の作品を読んだ父親が、「夢野久作の書いた小説のようじゃの」と言ったことから、この言葉をペンネームにしたそうです。
その他に、夢野久作は、海若藍平や香倶土三鳥、杉山萌円といったペンネームを使ったこともあり、それぞれ読み方は、海若藍平、香倶土三鳥、杉山萌円と言います。
ドグラマグラの意味
夢野久作の代表作として挙げられる、『ドグラマグラ』という長編幻想小説。
この作品は、記憶を失い、精神病棟で目が覚めた主人公の独白形式で描かれた小説で、構想と執筆に10年の歳月を費やし、1935年に刊行されます。
夢野久作が亡くなるのが1936年なので、『ドグラマグラ』は、亡くなる前年に刊行されたことになります。
タイトルにもなっている「ドグラマグラ」という不気味な響きの言葉の意味や由来については、作中で、切支丹伴天連の使う「幻魔術」のことを指す長崎の方言で、正しい語源は定かではないものの「堂廻目眩」「戸惑面喰」という字を当て「ドグラマグラ」と読んでもいい、などと説明されているシーンが描かれています。
元来この九州地方には『ゲレン』とか『ハライソ』とか『バンコ』『ドンタク』『テレンパレン』なぞいうような旧欧羅巴系統の訛言葉が、方言として多数に残っているようですから、或は、そんなものの一種ではあるまいかと考え付きましたので、そのような方言を専門に研究している篤志家の手で、色々と取調べてもらいますと、やっとわかりました。
……このドグラ・マグラという言葉は、維新前後までは切支丹伴天連の使う幻魔術のことをいった長崎地方の方言だそうで、只今では単に手品とか、トリックとかいう意味にしか使われていない一種の廃語同様の言葉だそうです。
語源、系統なんぞは、まだ判明致しませぬが、強いて訳しますれば今の幻魔術もしくは『堂廻目眩』『戸惑面喰』という字を当てて、おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが、いずれにしましてもそのような意味の全部を引っくるめたような言葉には相違御座いません。
出典 : 夢野久作『ドグラ・マグラ』
キリシタンバテレンとは、キリスト教が日本に伝わった頃の宣教師の敬称を意味します。
つまり、ドグラマグラとは、かつてキリスト教宣教師の使った幻魔術のことを意味し、その後、単に手品やトリックを意味するようになった長崎地方の方言で、もし訳すなら、幻魔術か、「堂廻目眩」「戸惑面喰」という字を当ててもよく、概ねそのような意味合いの言葉をひっくるめた言葉だと言います。
それでは、実際に、「ドグラマグラ」という言葉は実在したのでしょうか。
ドグラマグラの由来を探った松本健一の『どぐら奇譚』によれば、ある佐賀の女性曰く、子供の頃に使われていたという証言もあるようです。
佐賀の女性は、子供のころドグラ・マグラが実際に使われていることを知っていたという。(松本健一「どぐら綺譚 魔人伝説」200頁2行目)
夢野久作が、福岡県の出身なので、もしかしたらどこかでドグラマグラという言葉を聞いたこともあったのかもしれません。