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ジブリ

ジブリの意味と由来と、東小金井

ジブリの意味と由来と、東小金井

映画『となりのトトロ』や、『風の谷のナウシカ』、また、『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』など、宮崎駿監督や高畑勲監督が手がける名作アニメで有名な「スタジオジブリ」は、1985年に設立した、日本のアニメ映画会社です。

スタジオジブリは、日本でも、もっとも有名な企業の一つではないでしょうか。

ジブリのロゴでは、宮崎監督の代表作でもある「トトロ」が使われています。

ジブリのロゴ

宮崎駿監督が初めて監督として制作した長編アニメーション映画は、『ルパン三世 カリオストロの城』で、第二作品目が、『風の谷のナウシカ』ですが、この作品は、ジブリ作品の一つのように扱われているものの、正確には、まだスタジオジブリができる以前の映画で、トップクラフトという制作会社が作っています。

ナウシカのヒットの後、次の作品である『天空の城ラピュタ』の企画が進んでいくなかで、映画制作の拠点をどうするか、という問題に当たります。

ナウシカの際は、トップクラフトというアニメーション制作会社に、宮崎駿監督らが参加する、という形で制作されたのですが、トップクラフトは、ナウシカ制作の後、アニメ制作を中断します。

宮崎駿『風の谷のナウシカ』

ナウシカの公開からまもない頃、当時、まだ雑誌『アニメージュ』の副編集長だった、ジブリの名物プロデューサーで宮崎さんや高畑さんと盟友で知られる鈴木敏夫さんは、当時所属していた徳間書店(『風の谷のナウシカ』も博報堂と共同制作)の社長の徳間康快氏に、徳間書店自体が制作スタジオを持ったらどうかという旨の提案をします。

この提案は、もともと高畑さんが考えたことだったようです。

制作スタジオの提案に対し、徳間社長が快諾。社で持っていた休眠会社を利用し、アニメーション制作のための新しい子会社を作ることになります。

これが、「スタジオジブリ」の始まりです。

スタジオジブリという社名の名付け親は、宮崎駿監督です。

ジブリの綴りは、「GHIBLI」と書き、イタリア語で「サハラ砂漠に吹く熱風」を意味します。また、第二次世界大戦中に使用されたイタリアのカプローニ社の軍用偵察機の名前でもあり、宮崎監督が飛行機マニアだったことから、この社名が浮かんだそうで、「日本のアニメーション界に熱風を起こそう」という想いに由来しています。

スタジオジブリでは、毎月10日に、フリーペーパーの雑誌として『熱風』を発行しています。

この名前は、まさに、「ジブリ」の意味である「熱風」に由来し、雑誌では、文化や社会現象など、ジブリの好奇心によってその都度専門分野の人々が登場する特集と、連載で構成されています。

ただし、ちょっとした勘違いがあり、GHIBLIは、イタリア語で正しくは「ギブリ」という発音が近く、宮崎駿監督は「ジブリ」と思い込んでいたことから、この発音が、そのまま社名になったようです。

ちなみに、このとき、高畑勲監督からは、日本語で別の名前が提案されていたそうで、その別案が「武蔵野工房」でした。

社名がスタジオジブリではなく武蔵野工房だったら、また随分と印象も変わっていたことでしょう。

ジブリは、徳間書店の関連会社だったことから、徳間社長が、代表取締役を兼任。しかし、現場を担当する役員が必要となることから、トップクラフトの原徹氏が、ジブリの専従として就任します。

次に、スタジオジブリの場所探しが始まります。このとき物件探しに勤しんだのは、鈴木敏夫さんと高畑さん、原さんの3人。宮崎監督は、ちょうどラピュタのロケハンに行っていたことから参加せず、「窓が大きくワンフロアであること」「環状8号線の外側に位置すること」という条件を伝え、その条件も踏まえながら、JRの中央線沿いを、順番に不動産屋を回り、物件を探します。

このとき中央線沿いを選んだのは、中央線沿いにアニメ関係の会社が多かったからだと言います。

また、スタジオ探しの際のちょっとしたエピソードとして、不動産屋を回っているときに、なぜか門前払いを食うことが多く、理由がよくわからなかったのですが、鈴木さんは、この原因は「服装」にあるのではないか、という考えに至ります。

スーツを着ていたのは原さんだけで、鈴木さんや高畑監督は、普段通りの薄手のジャンパー。いい大人が、ジャケット一つ着ないで歩いていることから、不動産屋は怪しいと思ったのではないか、と鈴木さんは考え、ジャケットを着るようにしてスタジオ探しを再開したら、さっそくよい物件が見つかります。

ジブリのスタジオとして出会ったのは、吉祥寺駅近くの新築の4階建てのビル「第二井野ビル」。1階には喫茶店があり、この2階部分を借りることになり、1985年、6月15日に、スタジオ開きが行われます。

ただ、スタジオジブリは当初、映画の興行は水物で、いつでも終わりにできるように、という考えから、社員を雇うことはせずに、映画制作のたびにスタッフを集め、完成とともに解散、というスタイルを取ります。

しかし、この方法では、長期的な視点に欠け、新人の育成が行えません。

また、宮崎駿監督自身、1989年の『魔女の宅急便』の完成後、ジブリ自体を解散する考えでした。一方、鈴木敏夫さんは、このジブリ解散案に反対し、二人で話し合った結果、ジブリは継続することになります。

そのときに、宮崎駿監督が提案したのが、新人の育成。さらに鈴木さんも、スタッフの給与問題が挙がっていたことから、給与の倍増を提案します。

こうしてスタジオジブリは、「一作品を作るごとに解散」というスタンスから、大きく方向転換。スタッフの社員化、固定給制度の導入、賃金倍増を目指し、また、新人定期採用と育成、といった方針を打ち立て、定期的に作品を制作していくことになります。

アニメーション業界では、出来高払いというのが主流であり、固定給制度はとても珍しいかったそうです。

また、契約やフリーのままといった形が多く、社会保険も含めてしっかりと社員化するというのは、アニメ業界にとってはだいぶ大胆な決断だったと言います。

そして、雑誌『アニメージュ』の1989年9月号では、宮崎駿監督が自ら描いた漫画混じりのスタッフ募集要項が掲載されます。

このなかで、宮崎駿監督の分身らしき豚が、呼びかけるように語っています。

「低コスト低品質のその場しのぎではアニメーションに未来はないのです しかももっと良い作品を観たいという需要は増えている‼︎」

「一つだけいえます きちんと作られた映画はたとえ当たらなくても時間をかけてお金を取り戻せる それが私たちの信念です」

「みんなが観たいと思うような作品 観たら本当に面白い作品 それを作るのが私たちの仕事なんです だからこそ 今の日本のアニメーションの現状に満足しない若い才能を求めるわけであります」

社員を集め、スタジオジブリは新体制となります。

さらに、1992年には、中央線の東小金井駅付近の梶野町の新社屋に移転。現在も、この東小金井駅にスタジオジブリはあり、緑に包まれた建物が印象的です。

東小金井は、東京都の小金井市にありますが、この小金井市のイメージキャラクターで金太郎っぽさのあるゆるキャラ「こきんちゃん」は、宮崎駿監督がデザインしています。

小金井市のゆるキャラ こきんちゃん

ぬいぐるみやてぬぐい、文房具セットなど、こきんちゃんグッズも色々あります(こきんちゃんオンラインショップ)。

なぜ、東小金井にジブリの新社屋を建てようと思ったのでしょうか。どんな街なのでしょう。

東小金井駅は、新宿から電車で30分弱と適度に都心から離れ、また、静かで緑も残っている環境ということも大きかったのかもしれません。

【4K】スタジオジブリの聖地、小金井をぶら散歩

小金井市では、小金井はこんな街です、という説明のなかで、次のように街の魅力が紹介されています。

小金井市は東京都のほぼ中央、武蔵野台地の南西部に位置し、新宿から電車で約25分の距離です。約4km四方と入り組みが少ないコンパクトな地形となっており、比較的発達した路線バス網が整備されています。

小金井の地名の由来は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、“黄金井”が転じて“小金井”になったと言われています。

まちは、豊かな自然に囲まれ.市の南側には野川とそれに沿った武蔵野公園・野川公園、北側には玉川上水と、そのそばに小金井公園があり、水とみどりに恵まれています。

また、玉川上水沿いのヤマザクラ並木(国の名勝に指定)をはじめとした桜の名所として知られ、小金井市のシンボルとして市章にも桜の花びらが取り入れられています。

現在、12万人が暮らし、多くの高校や大学が設置され、住宅都市・文教都市としての性格が強いまちです。また、市内には、宮崎駿監督が所長を務めるスタジオジブリが所在し、豊かな自然や懐かしい風景は、作品づくりの参考になっています。

出典 : 小金井市はこんなところです。|小金井市

もう一点、宮崎駿監督の初恋の人が住んでいる街だったということも影響していたのではないかと言われています。

鈴木さんは、ジブリの移転先を探していた際に起きた出来事について、ある講演で次のように話しています。

「宮さんが、そこ(※小金井の現在のジブリのある場所の近く)に僕を連れてきて、ある家を指して『ここ、初恋の人の家』って言うんですよ。しかもその人にはフラれたそうで、武蔵境の駅までトボトボ歩いて帰ったんだって(笑)。宮さんは『鈴木さん、その道を2人で歩こうよ』って言うんです。バカじゃないかと思ったけど、本人はあの日に帰って思い出に浸ってるの(笑)。その近くに空き地があり、そこをジブリにしようかってなった」

出典 : ジブリ鈴木敏夫プロデューサー、『魔女宅』『トトロ』などでの数々の宮崎駿伝説を暴露!

思い出の地として感傷的な想いに浸れる街でもあったのかもしれません。

以上、「ジブリ」の意味と由来、それからスタジオジブリがある東小金井の話でした。