文部省唱歌とは〜意味と一覧〜
文部省唱歌とは
唱えるという漢字に歌と書いて「唱歌」という熟語があります。読み方は、「しょうか」と言います(古くは「しょうが」という読みでした)。
この唱歌という言葉は、昔からある日本語で、平安時代には、器楽の譜を声で歌うことを「唱歌する」と言い、また、室町末期から江戸時代に、短い歌曲の歌詞を「唱歌」と呼んだこともあったそうです。
この古来からの唱歌という日本語を、singingやsongの訳語とし、1872年(明治5年)の学制頒布以来、「唱歌」という教科(現在の「音楽」に当たる)の名称や、その教科で使う楽曲の総称として用いたことから、唱歌は、「学校で歌うもの」という意味合いが強くなります。
明治以降の「唱歌」という存在は、どういったものだったのでしょうか。
『日本唱歌集』によれば、唱歌とは、「初等・中等の学校で教科書用にもちいられ、日本語でうたわれる、主として洋楽系の短い楽曲」であり、歌詞は、「徳性の涵養と情操の陶冶」に資するような、教訓的および美的な内容を持ち、曲は欧米の民謡、賛美歌、学校唱歌および平易な芸術的声楽曲からとり、それらの型によって邦人の創作した小歌曲、および少数の日本民謡やわらべうたを含むものを指します。
唱歌と童謡の違い
唱歌と似たような意味の類語に、「童謡」という言葉もあります。
唱歌と童謡は、広く子供向けの歌という点では共通していますが、厳密には意味に違いがあります。
唱歌とは、先ほど触れたように、教育の一環として、「唱歌」という教科のために作られた楽曲を指し、言わば「学校教育用」の歌になります。教育のための歌なので、芸術性は二の次になっている面があります。
一方で、童謡とは、より芸術性を求め、子供たちに歌われるための歌として、1918年に創刊された児童雑誌『赤い鳥』を契機に広がった概念です。
『赤い鳥』創刊号表紙
童謡の定義について、『赤い鳥』の創刊者で、夏目漱石の弟子である作家の鈴木三重吉は「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな児童文学」と指しています。
また、大人が創作したものだけでなく、子供たちが歌っていたわらべ歌や、子供のつくった歌も、童謡に含めています。
以上のように、唱歌と童謡の違いは、明治以降の教育用に国主導で作られ、主に外国の曲のメロディーをもとにした唱歌と、民間主導で芸術性が高く子供の世界を描いた童謡という違いに分けられるでしょう。
洋楽に触れることのなかった日本人が、洋楽のリズムや音階に馴染むきっかけとなったものとして、「唱歌」はとても大きな要素となったようです。
洋子もオレンジ色のフランス語の読本を持って、一人出て行った。一年生の群が輪をつくって、覚えたばかりの外国語の唱歌を唄っている。
出典 : 川端康成『乙女の港』
文部省唱歌の意味と歴史
さて、この唱歌のなかでも、特に文部省唱歌と呼ばれる楽曲があります。
文部省唱歌とは、明治から昭和にかけ、文部省(現在の文部科学省)が編纂した、尋常小学校や高等小学校などの音楽の教科書に掲載された楽曲の総称を意味します。
ただし、一般的に「文部省唱歌」という風に呼ばれるものの、文部省唱歌という名称自体は、文部省が公式に定めたわけではありません。
尋常小学読本唱歌の教科書 1910年(明治43年)
文部省唱歌の歴史は、1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』に遡ります。そして、翌年以降、『尋常小学読本唱歌』の27曲を含む、各学年ごとに分けられた『尋常小学唱歌』(全6巻)が、1911年〜1914年(大正3年)に刊行されます。
文部省唱歌は、全て日本人による新作であり、1900年代までに翻訳された、たとえば『蛍の光』や『蝶々』のような唱歌は「文部省唱歌」には含まれません。
文部省唱歌の代表作と言えば、『もみじ』『春の小川』『ふるさと』などが有名で、現在の音楽の教科書にも掲載されるなど、今の日本人でも、冒頭の一節を聴くだけで自然と続きを思い浮かべることのできる曲も少なくないでしょう。
現代の子供たちが、音楽の教科書で学ぶ文部省唱歌としては、小学校1、2年生の『うみ』『かたつむり』『日のまる』『かくれんぼ』『春がきた』『虫のこえ』、小学校3、4年生の『茶つみ』『春の小川』『ふじ山』『まきばの朝』『もみじ』、小学校5、6年生の『こいのぼり』『スキーの歌』『冬げしき』『おぼろ月夜』『ふるさと』『われは海の子』などが挙げられます。
国語学者の金田一春彦さんが、「教室で先生がピアノで伴奏を弾けば、別にタクトを振る人がいなくても声が合う」と記すように、文部省唱歌は、歌いやすい曲が多いことが特徴となっています。
作者について
文部省唱歌の作者に関しては、当時、作詞者や作曲者に国が高額な報酬を支払うことで、著作権は文部省が所有し、個人の名前は一切公開せず、作者本人も口外しない、という契約を交わします。
この契約を結んだ背景には、誰か特定の個人が作者として際立つのではなく、「国」が作った歌である、という面を強調したかったのではないかという指摘もあります。
また、合議制のなかで編纂されたことから、個人の作者を取り上げる、ということの難しさもあったようです。
こうした背景から、当時は匿名だった作者の名前ですが、その後、検定教科書制度になってからは、作者名を明らかにする必要があり、作者がはっきり分かる場合は作者の名前の記載があります。
一方、依然として作者が不詳であったり根拠が薄いことも少なくないので、作詞者や作曲者は書かず、「文部省唱歌」とだけ記載されている教科書などもあります。
文部省唱歌一覧
以下は、1911年から1914年までに文部省が編纂した文部省唱歌の尋常小学校1年生から6年生までの全120曲(各学年ごとに20曲)の一覧になります。
タイトルや、冒頭の一節を聴いただけでも、続きの歌詞や懐かしいメロディが蘇ってくる現在でも有名な曲も数多くあるのではないでしょうか。
第一学年
日の丸の旗 (「ひのまる」)
鳩
おきやがりこぼし
人形
ひよこ
かたつむり
牛若丸
夕立
桃太郎
朝顔
池の鯉
親の恩
烏
菊の花
月
木の葉
兎
紙鳶の歌
犬
花咲爺
第二学年
桜
二宮金次郎
よく学びよく遊べ
雲雀
小馬
田植
雨
蝉
蛙と蜘蛛
浦島太郎
案山子
富士山
仁田四郎
紅葉
天皇陛下
時計の歌
雪
梅に鴬
母の心
那須与一
第三学年
春が来た
かがやく光
茶摘
青葉
友だち
汽車
虹
虫のこゑ
村祭
鵯越
日本の国
雁
取入れ
豊臣秀吉
皇后陛下
冬の夜
川中島
おもひやり
港(新編教育唱歌集収録の「みなと」とは別の曲)
かぞへ歌
第四学年
春の小川
桜井のわかれ
ゐなかの四季
靖国神社
蚕
藤の花
曽我兄弟
家の紋
雲
漁船
何事も精神
広瀬中佐
たけがり
霜
八幡太郎
村の鍛冶屋
雪合戦
近江八景
つとめてやまず
橘中佐
第五学年
みがかずば
金剛石・水は器
八岐の大蛇
舞へや歌へや
鯉のぼり
運動会の歌
加藤清正
海
納涼
忍耐
鳥と花
菅公
三才女
日光山
冬景色
入営を送る
水師営の会見
斎藤実盛
朝の歌
大塔宮
卒業生を送る歌
第六学年
明治天皇御製
児島高徳
朧月夜
我は海の子
故郷
出征兵士
蓮池
燈台
秋
開校記念日
同胞すべて六千万
四季の雨
日本海海戰
鎌倉
新年
国産の歌
夜の梅
天照大神
卒業の歌
以上が、尋常小学校の文部省唱歌一覧です。
雑学
『鳩』の原曲
文部省唱歌の『鳩』は、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ」という冒頭の歌詞が印象的で、作者は、作詞作曲ともに不詳となっています。
しかし、この『鳩」の作者に関しては、原曲があったのではないか、という説があります。その曲が、文部省唱歌の『鳩』の10年ほど前に刊行された幼稚園唱歌に入っている『鳩ぽっぽ』という曲です。
この『鳩ぽっぽ』は、東くめ作詞、滝廉太郎作曲で、文部省唱歌の『鳩』とは、歌詞も曲調も違いますが、鳩ぽっぽという語感や歌詞の情景などに共通項が見られます。
幼稚園唱歌『鳩ぽっぽ』
『桃太郎』の4番以降
文部省唱歌『桃太郎』は、おとぎ話の桃太郎をもとにした唱歌で、「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきびだんご、ひとつ私にくださいな」という冒頭は、誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか。
よく聞く桃太郎のおとぎ話では、川上から大きな桃が流れてくる場面から始まりますが、この唱歌の場合は、きびだんごがほしいと言うシーンから始まり、きびだんごの代わりに仲間になり、鬼退治を果たすまでの部分が中心として描かれています。
この文部省唱歌の『桃太郎』は、1番、2番、3番くらいまで有名ですが、続きの4、5、6番は軍国主義的な色合いが強い影響か、戦後あまり歌われなくなったようです。
4.そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて 攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島5.おもしろい おもしろい
のこらず鬼を 攻めふせて
分捕物を えんやらや6.ばんばんざい ばんばんざい
お伴の犬や 猿 雉子は
勇んで車を えんやらや出典 : 文部省唱歌『桃太郎』
ちなみに、作曲家は、『春の小川』や『故郷』の作者でもある岡野貞一、作詞者は分かっていません。
『雪』のこんこの意味
文部省唱歌『雪』は、作詞者が国文学者の武笠三、作曲者は現在も不詳で、歌詞に出てくる「雪やこんこ、霰やこんこ」というときの「こんこ」の意味や語源も正確には分かっていません。
ただし、「来む来む」で「来い来い(降れ降れ)」という意味や、「来む此(ここに降れ)」という意味ではないか、という説があります。
また、滝廉太郎作曲、東くめ作詞の幼稚園唱歌掲載の『雪やこんこん』の歌詞も「雪やこんこん、霰やこんこん」という冒頭ではありますが、『雪』と『雪やこんこん』は異なる曲です。
『ふるさと』の「うさぎおいし」の意味
文部省唱歌の『ふるさと』は、長らく作詞作曲ともに作者不明だったものの、昭和40年代に、作詞として高野辰之、作曲として岡野貞一が同定され、1992年以降の音楽の教科書で作者の名前が掲載されるようになります。
冒頭の「うさぎおいし 彼の山」という有名な一節は、「うさぎおいし」が「うさぎ美味しい」と聴こえることから、うさぎを食べたことを歌っているという誤解もあるようです。
この「うさぎおいし」は、「うさぎ追いし」のことで、現代語訳すれば、「野うさぎを追った あの山よ」という意味になり、1番の歌詞は、「野うさぎを追ったあの山よ、小鮒を釣ったあの川よ、今なお夢に思い、心巡る、忘れられない故郷よ。」と歌っています。
歌詞に描かれる「彼の山」や「彼の川」のモデルとなった場所はどこなのか、という点については、作者の高野の故郷である長野県中野市の熊坂山や大平山、斑川という説があります。
当時は冬に行われる「うさぎ追い」という村総出の行事があったようです。
兎追いは、自然豊かな山村の冬季間の子どもたちも加わった村総出の行事でした。
唱歌「故郷」は、作詞した高野辰之が少年の日に友達と野山で遊んだ情景を懐かしんで作ったものです。
GHQと『我は海の子』
文部省唱歌は、戦争の時代に歌われたことから、歴史的な背景とも無関係ではなく、たとえば、「われは海の子、白波の」という冒頭の歌詞が有名な『我は海の子』は、海辺に生まれ、たくましく育つ少年が主人公の歌ですが、戦後、GHQから指導が入り、文部省唱歌から追放されます。
追放の理由は、『我は海の子』の7番の歌詞、「いで大船を乗り出して われは拾わん海の富 いで軍艦に乗組みて われは護らん海の国」という部分が、軍国主義を想起させるというものでした。
その後、『我は海の子』は、教科書に再び掲載されるようになったものの、歌詞は3番までの掲載となり、作詞したと考えられている宮原晃一郎さんの故郷である鹿児島市の祇園之洲公園の歌碑にも、3番の歌詞までしか掲載されていないそうです。