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言葉の意味・由来

「違和感を感じる」は間違いか

「違和感を感じる」は間違いか

重複表現

日本語で、同じ意味の言葉を重ねる、「重複表現」「二重表現」「重言じゅうげん」といった言葉があります。

代表的な重複表現としては、「馬から落馬する」「頭痛が痛い」などが挙げられ、この辺りは、よく分かりやすい誤用の解説に用いられる表現です。

その他、重複表現の事例として、次のような文言があります。

重複表現の事例

  • 馬から落馬する
  • 頭痛が痛い
  • 全てを一任する
  • 犯罪を犯す
  • 過半数を超える
  • 内定が決まる
  • 満点の星空
  • 学校へ登校する
  • 歌を歌う

重複表現は、基本的に誤用として扱われるものの、意味の強調や語調を整える効果などを理由に修辞技法として用いられることもあり、また、書き言葉では違和感があっても話し言葉では許容される、といったケースもあります。

実際、上記の重複表現の例のなかでも、普段気軽に使っている表現もあるのではないでしょうか。

さて、この重複表現において、是非の判断が分かれる事例の一つが、「違和感を感じる」です。

「違和感を感じる」に、違和感ありが多数

違和感とは、「調和を失った感じ、他と合わない感じ、しっくりこない感じ」を意味し、この「違和感」の「感」と、「感じる」の「感」が、重複していることから、この表現に「違和感がある」と考える人も少なくありません。

ある調査によれば、「違和感を感じる」という表現に対し、「違和感がある」と回答した人は、書き言葉に関して言えば8割を超えたという結果が出ています。

画像 : 文字にすると違和感が増す「違和感を感じる」|毎日ことば

話し言葉では、あまり気にならない、という人も少なくないようで、確かに、日常の会話のなかで「なんだか違和感を感じるんだよね」と言っていても、それほどおかしいと思うことはなく、普通に会話は流れていくのではないでしょうか。

一方、書き言葉で、視覚的に「違和感を感じる」と見ると、一気におかしいと思う人が増えることから、絵的に「感」が続くことに対し、くどさを覚えるのかもしれません。

ただし、同じ「感」の重複でも、「罪悪感を感じる」や「危機感が感じられない」といった場合は、誤用として取り上げられることもほとんどなく、なぜか「違和感を感じる」が槍玉に挙げられることも多いようです。

ちなみに、「違和」という言葉もあり、「①心身の調和が失われ、調子が変になること。病気にかかること。」「②雰囲気にそぐわないこと。二つのものが調和しないこと。」を意味します。この「違和」を使った、「違和を感じる」といった表現も全くないわけではないものの、滅多に目にすることはありません。

それでは、「違和感を感じる」という使い方は、「間違い」と言えるのでしょうか。

間違いではないとする辞書も

この「違和感を感じる」という表現は、誤用ではないとする辞書もあり、たとえば、明鏡国語辞典によれば、重言ではあるものの間違いとは言えず、表現としてはおかしくはない、という立場を取っています。

似たような表現では、「快感を感じる」という言い方も昔からあり、重複はしているが、決しておかしいものではない、ということのようです。

また、国語事典編集者の飯間浩明氏も、「違和感を感じる」という表現は、昔の作家も多く使っていることから、それほど神経質にならずに、使ったらいいのではないか、と発信しています。

「違和感」は明治~戦前には医学分野で多く使われ、「違和感を感じる」の例も昔からありました。戦後には、椎名麟三・三島由紀夫・梅崎春生・阿川弘之・石坂洋次郎・佐藤春夫・遠藤周作らの例があります。多くの大作家たちのお眼鏡にかなった表現であり、べつに神経質にならなくても、と思います。

出典 : 飯間浩明(Twitter)

飯間氏は、「違和感を感じる」という表現が気になるからと、機械的に「違和感を覚える」と言い換える例が多く、表現の幅を狭めてしまっている、と指摘します。

別の言い方としては、「違和感を覚える」以外にも、「違和感がある」「違和感が生じる」「違和感を持つ」など多彩であり、そもそも「違和感を感じる」や「歌を歌う」と言ってもいいではないか、と。

確かに、言い換えの例としては、上記の表現の他にも、「違和感を抱く」などもあり、読み手に気になる人が多いようなら、別の表現手段を色々と模索してもいいでしょうし、同時に、往年の錚々たる作家たちも、また現代の作家たちでも、「違和感を感じる」という表現を使っていることを考えれば、正しい表現かどうか、それほど気にする必要もないのかもしれません。

親しみが湧くのは隊内が若年化しているせいもあるのだろうが。秋庭がこの中の一員だったということにもそれほど違和感を感じなくなってきた。要するにいろんな人の集まりなのだから、その中に秋庭がいてもおかしくはない。

出典 : 有川浩『塩の街 wish on my precious』

そこには、もっぱらゲーム機のことが書かれており、動作時間に関する記述もあった。あまりにも末梢的すぎることに違和感を感じて、かえって、はっきりと記憶に残っていたのだ。

出典 : 貴志祐介『クリムゾンの迷宮』

違和感を覚える、という表現の正否自体で言えば、間違った使い方ではないので問題ない、と言えるでしょう。

一方、先ほどの調査が掲載されている毎日新聞の校閲部の結論としては、多くの人が、「違和感を感じる」に違和感がある、と捉えている以上は、「誤用であり、使ってはいけない」と断定はしないものの、「なるべく避ける」という方向で考えているようです。

公用文に限らず、他人に見せる文章で「違和感を感じる」を使うと「冗長だな、洗練された文章ではないな」と思われてしまうかもしれません。読者になるべく違和感を与えないことを目指す校閲記者としては、今回のアンケートを踏まえ、「違和感を感じる」は基本的に避けたほうがよさそうです。ただし「これは誤用だ! 使ってはいけない!」とは断定しない。それぐらいのスタンスが妥当ではないかと感じます。

出典 : 文字にすると違和感が増す「違和感を感じる」|毎日ことば

言われてみれば、新聞で「違和感を感じる」という表現を目にすることは基本的にないかもしれません。

わざわざ多くの人が、「あれ?」と気になるような表現を使わずとも、簡単に言い換えが可能であるなら、そちらを使う、というのも、合理的な判断と言えるでしょう。

結局のところ、本人の好みや、読み手がどれくらいの数の人たちか、また書き言葉と話し言葉の場合などにより、ケースバイケースと考えられるでしょう。

以上、「違和感を感じる」が間違いか否か、また言い換えの例などでした。