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日本の画家

坂口恭平の絵

坂口恭平の絵

坂口恭平さんは、一風変わった現代アーティストで、生きていることそのものが、丸ごと作品のような芸術家です。

熊本県で生まれ育ち、建築家を志して早稲田大学の建築学科に入学した坂口恭平さん。大学の卒論では、路上生活者の住まいを建築学的に調査したレポートを発表し、その論文をもとに『0円ハウス』を出版。以降、実体験やフィールドワークに基づく著作を数々発表しています。

また、自分の電話番号を公表し、「いのっちの電話」と名づけ、24時間、いつでも死にたいと思ったら電話をしてほしい、と公言。この「いのっちの電話」は、2012年から続けています(参照  :  毎日10本「死にたい」電話がかかってくる時代に、芸術は何ができるのか?坂口恭平×マヒトゥ・ザ・ピーポー対談)。

前述の番号(090-8106-4666)は「いのっちの電話」の番号だ。本家本元の「いのちの電話」がつながりにくいことから、坂口さんが2012年から一人で勝手に始めた。「新政府いのちの電話」と名乗っていたが、「熊本いのちの電話」から商標登録侵害で訴えると警告され、「いのっちの電話」に変えた。

1日に7人ほどかけてくるので、1年だと2000人を超える。もちろん無償だ。もう活動は10年ちかくになる。「自殺者をゼロにしたい」という思いから始めたが、坂口さん自身が「死にたくなるから」と本当の理由を明かしている。

出典 :「090-8106-4666」は「いのっちの電話」

坂口恭平さん自身、躁鬱病を患い、自分の心身と向き合いながら、「表現」と「自然」という二つを軸に暮らし、熊本県内で畑仕事をしながら、読書をし、音楽や絵の創作を行い、Twitterやブログで発信するという、宮沢賢治の「農民芸術」を連想させるような日々の生活を送っています。

誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面において各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべくかくて地面も天となる

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より

坂口恭平さんが、具体的にどんな暮らしをしているか、という詳細については、熊本市現代美術館のサイトで「最近の坂口さん」と称して紹介されています。

たとえば、欠かせないのが畑仕事。坂口さんの畑は、熊本市西区の河内町に繋がる道沿いにあり、トマトや小松菜、苺などを育て、茶毛で黒縞模様の野良猫ノラ・ジョーンズも毎日やってきます。

畑と向き合っているうちに、躁鬱が落ち着いていった、と坂口さんは語ります。

コロナ禍をきっかけに始めた畑はもう3年目、最近は長男と一緒に船に乗って釣りに出かけることもあるとか。編み物の得意な坂口さんは、畑のトマトのためのネットも自分で手作り。雑草は散髪程度に刈って、ミミズや蜘蛛など、畑で暮らしている生き物たちの邪魔は極力しないようにしています。

そんな自己流農法で、なぜか作物の収穫高は上々。植物や小さな生き物との距離感を、坂口さんは「言葉は交わせないし、相互理解もあり得ないから、こっちが感じていくだけですけどね。濃い握手はないけど、知らない間に手が触れている」と表現します。

出典 : 坂口恭平さん、自己流農法で生き物の声を聞く。

一人のときは読書も行なっています。先ほどのサイト内で、読んでいる本として紹介されているのが、W.G.ゼーバルト『空襲と文学』と、藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』です。

また、創作は、陶芸や音楽制作、そして絵を描いています。

特に絵は、畑とともに、「パステル画」を始めたことが、坂口恭平さんにとって世界が開ける大きな契機となったようです。

畑に行くようになって、そしてパステル画を描くようになって、よく空を見るようになった。

もともとは空なんかそんなに見なかったはずだ。でもそうだった自分を今ではあんまり思い出せない。

今は、いつも空を見てる。どんな時も空が気になる。光が気になる。木漏れ日が気になる。水面が気になる。水面に映る景色が気になる。

そして、景色を見るたび、僕は頭の中のパステルボックスの中のいろんな色に手が伸びる。

そして、どの色を使おうか、どの色をそこに混ぜようか、タッチはどうしようか、指の擦り具合はどうするか、どの指で擦るか、そんなことが頭の中を飛び出て、空の上で動き回っている。

坂口恭平「土になる」 note より

パステルの絵は、坂口恭平さんのTwitterでもよく挙げられていますが、山の遠景や木漏れ日、空の景色などが、まるで印象派の絵画のように美しく表現されています。

坂口恭平さんのTwitter(2020年)より

以前の坂口恭平さんの絵は、抽象画のような雰囲気のものが多かった印象があるのですが、パステル画を始めてからは、より写実的に「見たまま」を捉えるような作風になっています。

坂口恭平さんのTwitter(2018年)より

こうした絵の作風の変化は、坂口さん自身の精神状況とも深く関係しているのかもしれません。畑仕事や料理、パステル画といった自然との触れ合いを通して心がより外に開かれ、作風も変化してきているのでしょうか。

坂口さんは、影響を受けている画家として、モネ、セザンヌ、ゴッホ、モンドリアン初期中期の風景画、エドワード・ホッパーなどを挙げています。

確かに、モネの繊細な光や、セザンヌの具象性も備えながら、同時に思うのは、かつての画家が抽象絵画に向かう前の風景画(坂口恭平さんの場合は、抽象絵画から写実的な風景画に向かいますが)の雰囲気も備えている、ということです。

個人的に連想したのは、カンディンスキーです。

抽象絵画の創始者と言われるカンディンスキーが、完全な抽象性の世界に行く前の風景画と共通するものを感じます。

ワシリー・カンディンスキー『コンポジションⅧ』 1923年

ワシリー・カンディンスキー『saint cloud park clearing』 1907年

ワシリー・カンディンスキー『Park of St. Cloud』 1906年

そこには爆発の手前のような揺らぎがあり、坂口さんのパステル画にも、ただ「きれいな自然」というだけでなく、坂口さん自身の心の危うさと安定とが、絵の上で絶妙に調和しているからこそ、引き込まれるのかもしれません。

僕は西日のことを考えている。これは僕の記憶なのか、夢の中なのか。土の中のイメージが湧き上がる。

土の外、僕の外、夢ではなく、目覚めている僕が見ている現実の姿。僕はパステルを描きながら、写真に撮った有明海を、その上の空の雲と西日を見ながら、いろんなことを考えている。

パステルで描くときは、勘では描かない、そのものを隈なく見る。でも凝視するとも違うかもしれない。細めで見て、光と影を見る、どうしてそれが見えるのか気になる。

夢の中ではどうして物が見えるのか。どうして眩しさを感じるのか。その光源はどこにあるのか。夢の中。それは土の中か。

坂口恭平「土になる」note より

坂口恭平さんのパステル画の画集としては、『Pastel』『Water』が出版されています。