「春眠暁を覚えず」の作者と全文
春と言えば、出会いの季節であり、出発の季節であり、色々と「始まり」の季節として捉えられています。
一方で、必ずしもポジティブなことばかりではなく、特に、冬から春にかけての季節の変わり目は、体調が悪くなったり、心が不安定になったりという時期でもあり、「木の芽時」は無理しないように、といったことは昔から言われています。
春先を“木の芽どき”と呼ぶ言い方は古くからあり、俳句の季語にもなっています。文字通り木の芽が出て虫たちが活動を始める時季なので、ポジティブに捉えられそうなものですが、そうではありません。
この言葉は、昔から「身体的精神的にバランスを崩しやすいので、病気に注意するべき時季」という意味でも、言い伝えられてきたのです。
医療現場でもこの時季は、うつ状態に陥る人が現れたり、認知症の行動・心理症状(徘徊、不穏、興奮など)が悪化したり、不定愁訴が多発する時季でもあります。
春に、「ざわざわ」するという人もいるかもしれませんが、それは、この冬の寒さから春の暖かさにかけての気候の変化がそうさせている、という面も強いのでしょう。
こんな風に、春は、心身ともに影響が強い時期でもありますが、他にも、春には「とにかく眠い」という人もいると思います。
そして、この春の眠さを表現する言葉に、「春眠暁を覚えず」という有名な慣用句があります。
前半の「春眠」というのは、「春の眠り」と書くので意味合いがなんとなく伝わってきますが、後半の「暁を覚えず」というのは、一体どういった意味になるのでしょうか。
暁は、夜明け頃のことを指します。
そのため、この「春眠暁を覚えず」とは、「春の夜は暖かくて心地よくぐっすり眠れるので、夜明けになっても気づかずに眠っている」といった意味になります。
ただ、これは別に、春はついつい朝寝坊をしてしまうよね、といった意味合いではなく、もともとは、春の情景を歌った詩の一節です。
この「春眠暁を覚えず」という言葉は、中国の古い詩が由来となっており、作者は、孟浩然という中国唐代の詩人です。
孟浩然は、689年に生まれ、740年に亡くなり、生前は、隠棲生活の期間も長く、自然の美を歌っています。
孟浩然の代表作が、『春暁』という作品で、「春眠暁を覚えず」には、続きがあります。
以下、この『春暁』の全文となります。
春眠不覚暁 春眠暁を覚えず、
処処聞啼鳥 処処啼鳥を聞く、
夜来風雨声 夜来風雨の声、
花落知多少 花落つること知る多少。
左が原文の漢詩で、右が書き下し文になります。この『春暁』の全文をわかりやすく現代語訳すると、次のような春の朝の様子を詠んだ詩となります。
春の眠りは心地よく、ぐっすり眠れるものだから、夜が明けても気づかずに寝過ごしてしまった。
あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
昨夜は風雨の音がしていた。
どれほどの花が落ちてしまっただろう。
ご覧のように、由来となった作品は、春の朝寝坊の詩というよりは、のどかな春の一場面を愛でるように詠んだ詩になっています。
春には心地よくて眠く、うっかり寝過ごし、目が覚めると、鳥が鳴いている。そういえば、昨夜は雨風の音が聞こえていたが、花は散ってしまっただろうか。
現代でも、この光景は想像できるのではないでしょうか。
ちなみに、同じように春の夜明け頃を詠んだ古典の文章として、清少納言の『枕草子』があります。
〈原文〉
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
〈現代語訳〉
春は、あけぼの(がよい)。だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいていく(その様子がよいのだ)。
枕草子のほうでは、春は曙(夜がほのぼのと明ける頃)が素晴らしい、と歌い、眠っている、といったニュアンスはありません。
いずれにしても、季節の日常や自然に繊細に目を向けた作品と言えるでしょう。