言葉の意味・由来

ヨイトマケの意味と語源

ヨイトマケの意味と語源

太宰治の小説『斜陽』には、主人公のかず子が戦争中に従事していた仕事として、「ヨイトマケ」という言葉が出てきます。

貴族の娘だったかず子が、戦後、困窮していくなかで田舎の農作業を行っている場面で、戦争中の肉体労働の一つとして、「ヨイトマケ」のことを思い出します。

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。

昨年は、何も無かった。
一昨年は、何も無かった。
その前のとしも、何も無かった。

そんな面白い詩が、終戦直後のる新聞に載っていたが、本当に、いま思い出してみても、さまざまの事があったような気がしながら、やはり、何も無かったと同じ様な気もする。私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈だ。けれども、私は、やはり自分勝手なのであろうか。私が徴用されて地下足袋をはき、ヨイトマケをやらされた時の事だけは、そんなに陳腐だとも思えない。ずいぶんいやな思いもしたが、しかし、私はあのヨイトマケのおかげで、すっかりからだが丈夫になり、いまでも私は、いよいよ生活に困ったら、ヨイトマケをやって生きて行こうと思う事があるくらいなのだ。

出典 : 太宰治『斜陽』

今ではあまり馴染みのない言葉のヨイトマケ。

ヨイトマケとは、まだ建設機械が普及していなかった時代、建築現場での地固めの際に、縄で滑車に吊るした重いつちを、数人がかりで引っ張り上げて落とす、という作業、また、その作業を行う日雇い労働者(多くの場合は女性を指して使われる)を意味します。

ヨイトマケの作業風景

当時の作業風景を映した動画は見つかりませんでしたが、記録写真と見比べても、恐らく上記の映像のように行われていたのでしょう。

画像 : 沖縄、国際通り。琉球銀行壺屋支店のヨイトマケ(1995年)

画像 : 移りゆく川崎、民間住宅基礎工事(ヨイトマケの婦人達)

ヨイトマケ画像 : 東京の城西消費組合本部の基礎工事(1932年)

ヨイトマケの語源は、作業を行う際の掛け声、「よいっと巻け」に由来すると言われています。

また、ヨイトマケという言葉が使われた有名な歌に、美輪明宏さんが1965年にリリースし、人気となった『ヨイトマケの唄』があります。

この歌は、ヨイトマケだった母の思い出がテーマの歌詞(歌詞全文)で、美輪明宏さんが作詞作曲です。

しかし、この『ヨイトマケの唄』は、発売後まもなく歌詞で使われる「土方どかた」や「ヨイトマケ」が差別用語だとして、放送禁止歌扱いを受け、長らく表舞台から姿を消します(主にNHK以外の民放各局が避けてきた経緯があります)。

美輪さんは、私が規制について聞くと「局側は御身の安全で自粛してしまった。どこが差別なんですか、と(リスト作成者に)問う気概を持つべきだった。差別はヒューマニストぶっているあなたたちの心の中にあると言ったんですよ」と、メディアの思考停止を指摘しました。

出典 : ヨイトマケ「放送禁止」はナンセンス

こうした風潮に対し、2000年には、サザンオールスターズの桑田佳祐さんがカバーし、フジテレビで放送されたことを機に、以降、次々とカバーされるようになります(参考 : 放送禁止だった『ヨイトマケの唄』 呪縛を解放した桑田佳祐の功績)。

ガガガSP『ヨイトマケの唄(カバー)』

2012年には、美輪明宏さんがNHK紅白歌合戦に初出場し、『ヨイトマケの唄』が歌われたことで話題となりました。