写真家ナダールと肖像写真
ナダール「セルフポートレート」
ナダールは、数多くの文化人や作家、芸術家などの肖像写真を撮影したフランスの写真家として知られ、本名は、ガスパール=フェリックス・トゥールナションと言います。
ただ、一般的には、ナダールという名前が有名で、彼は、1820年にパリで生まれ、1910年に90歳で亡くなります。
若い頃のナダールは、父親の死もあり、母や弟の生活の面倒も見なければいけないことから、新聞に記事を寄稿したり、またボヘミアン的な芸術家を主人公にした小説を書いたり、ということを行なっていたようです。
この当時、ナダールは、単語の語尾に「ダール」(dar)をつけて話す、という遊びを行なっていたことから、付き合いのあった芸術家の友人たちは、彼の名前である「トゥールナション」を「トゥールナダール」と呼ぶようになり、この後半部分から、「ナダール」が呼び名となります。
その後、ナダールは、戯画家として活動し、風刺画家として活躍します。
風刺画によって余裕ができたナダールは、19世紀半ば頃に、新技術の「写真」に着目し、写真スタジオを開きます(写真は、1839年にフランスの画家ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって発明されます)。
時代は、絵画による肖像画から、写真による肖像写真に移り変わり、パリ中に写真館が生まれた頃で、肖像写真を撮影する、というブームが到来し、その流れに乗るようにナダールの開設した写真館も軌道に乗っていきます。
ナダールが撮影した肖像写真のなかには、多くの著名人が存在し、たとえば、画家では、ドラクロワやコロー、ミレー、ドービニーなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。
ナダール撮影 ジャン・フランソワ・ミレー
ナダール撮影 ウジェーヌ・ドラクロワ
ナダール撮影 シャルル・フランソワ・ドービニー
ナダール撮影 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
また、写真家のナダールは、絵画の「印象派」とも縁があり、まだ30代半ばと若かったモネやルノワールたちが開催し、のちに印象派展と呼ばれることになる、第1回の小さな展示会に、自身のスタジオを無料で貸していることでも知られています。
ナダールの写真スタジオ
印象派と写真も決して無関係ではなく、写真技術の登場が、印象派の登場に影響を与えています。
どういうことかと言うと、写真とは、現実をそのまま写し取る技術です。写実的な絵では、写真以上の現実が写せないことから、画家たちが、写真では写し取れない革新性を求められたことも、印象派が生まれる要因の一つになっていたと考えられています。
こういった背景を考えると、印象派誕生の起源である第1回印象派展のスタジオが、写真家ナダールのスタジオだったということは、歴史の面白い符号と言えるかもしれません。