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心理

ネガティブ・ケイパビリティをわかりやすく解説

ネガティブ・ケイパビリティをわかりやすく解説

ネガティブ・ケイパビリティの意味

ネガティブ・ケイパビリティ、という言葉を目にしたことがあるかもしれません。

文学や芸術、心理学の世界だけでなく、日常を生きていくなかでも必要とされる能力として、今、この概念が注目されています。

情報過多によって、様々なことに追われ、不安を覚えやすい現代社会では、時間の流れも速くなり、仕事だけでなく、LINEなど人間関係におけるメッセージでも、早急な決断や早いやりとりなどを求められることも増えていることから、すっかり疲れているという人も多いのではないでしょうか。

そういった時代に、深呼吸し、一歩立ち止まるためのヒントとして、このネガティブ・ケイパビリティという考え方は、いっそう重要になってくるでしょう。

それでは、ネガティブ・ケイパビリティとは、一体どういった意味なのか、誰が言い出したのか、身に付けるためにはどうすればいいのか、といった点について、なるべくわかりやすく解説したいと思います。

意味と由来

ネガティブ・ケイパビリティは、「ネガティブ」という言葉がついていることから、ちょっとマイナスの意味合いがあると思うかもしれませんが、決して悪い意味ではありません。

後ろ側につく「capabilityケイパビリティ」とは、日本語に訳すと、「能力、力量、才能」といった意味です。

二つの言葉を繋げた、“ネガティブ・ケイパビリティ”とは、日本語訳については定まってなく、「消極的能力」「否定的能力」などと訳されますが、意味としては、「分からないことに対して、事実や理由を焦って見出そうとせず、不確実さや謎として置いておく力」を指します。

哲学者の谷川嘉浩さんは、もう少し簡単に、「答えを急がず立ち止まる力」と要約しています。

この考え方は、もともと誰が言い出したのかと言うと、18世紀の終わりから19世紀にかけてのイギリスの詩人ジョン・キーツです。

キーツは、結核によって25歳という若さで亡くなり、死後に評価が高まった詩人で、日本では、詩人の八木重吉が敬愛していたことでも知られています。

そのキーツが、1817年に弟に宛てた手紙のなかで、このネガティブ・ケイパビリティという考え方を伝えています。彼は、手紙に次のように記しています。

ディルクとさまざまな問題について論争ではなく考え合いをした。いくつかのことが、ぼくの心の中でぴったりと適合しあい、すぐに次のことが思い浮かんだ。

それは特に文学において偉大な仕事を達成する人間を形成している特質、シェイクスピアがあれほど膨大に所有していた特質、それが何であるかということだ──僕は、消極的能ネガティブ・ケイパビリティ力のことを言っているのだが、つまり人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態のことだ。

出典 : ジョン・キーツ『詩人の手紙』

キーツが、特に文学において偉大な仕事を達成するために重要な特質として語っていた、「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念は、キーツの死後、150年以上が経過したのち、イギリスの精神科医ウィルフレッド・R・ビオンによって改めて見出され、心理臨床の現場で広まっていったようです。

人間は、どうしても先の見えないこと、よく分からないことにぶつかると、なぜそうなのか、といった理由や、実際はどうなのか、という事実を求めてしまう傾向があります。

キーツの指摘するような、「不確実さ」や「不可解さ」の渦中にいると、落ち着かなくなり、不安によって焦ったり、苛立ったりするかもしれず、この状態に耐えきれなくなり、結果として、束の間のものであっても、とにかく「理由」が欲しくなる。分かった状態を欲望する。

それは、「理由」があることで納得ができ、不安が多少なりとも解消されるからでしょう。

あるいは、見えないものというのは怖いので、「事実」として見える化したい、という方向にも向かっていきます。

しかし、早急に分かりやすい結論や理由や事実を求めることで、誤った捉え方をしてしまうこともあるでしょうし、一つの不安を無理やり消してみても、すぐに別の不安が現れ、どんどんと肥大化し、袋小路にはまってしまうということもあるでしょう。

究極的には、次の瞬間に何が起こるか、ということは誰にも分かりません。

この分からないことへの不安に、あまりに囚われすぎると、一歩も動けなくなったり、生きることが怖くなってしまうことにもなりかねません。

そんなときに、分からないことは分からないのだとして、そのままにしておく。もっと言えば、あとは「なるようになる」と考えて手放すということも、生きていくに当たっては必要になるでしょう。

先ほど、哲学者の谷川さんの言葉として、ネガティブ・ケイパビリティについて、「答えを急がず立ち止まる力」と紹介しましたが、心理カウンセリングなどを行なっている松山淳さんは、その意味に関して、「どうにもならない状況でも、急いで答えを出さず自分なりの答えが現れてくるのを待つ力」と解説しています。

「私はネガティブ・ケイパビリティを、どうにもならない状況でも、急いで答えを出さず自分なりの答えが現れてくるのを待つ力、と説明することが多いですね」と、ネガティブ・ケイパビリティを取り入れながら心理カウンセリングなどを行う松山淳さんは話す。

出典 : “ネガティブ・ケイパビリティ”とは?今、不安に駆られている人に伝えたい【ヴォーグなお悩み外来】

意味合いの幅に関しては、微妙に違いもあるかもしれませんが、分からないことを分からないままにしておくというのもそうですし、自分のなかでもやもやしているときには、急いで結論を出さずに、しばらく待ってみる、いったん保留し、置いておく。そして、自分のなかで自然と答えがまとまっていくまで待つようにする、といった捉え方もできるでしょう。

このネガティブ・ケイパビリティと反対の意味の概念として、ポジティブ・ケイパビリティという言葉が使われることもあります。

この言葉は、キーツが使っていたわけではなく、ネガティブ・ケイパビリティと逆の概念として、対比のために言われるようになった言葉でしょう。

ポジティブ・ケイパビリティとは、「早急に答えを出し、不確かさや不思議さ、懐疑から脱出する力」や、「問題に対して、即座に“分からない”を“分かる”に落とし込んでいく能力」のことです。

確かに、こういった力のある人が、速度の速い現代社会では、「賢い」とされる傾向も強いのかもしれません。

即座に理解し、意見が浮かび、言語化して発信する。場合によっては、相手を論破する。

しかし、世の中には、一言では理解しきれないことや、どれだけ人間が考えてもよく分からないこともあります。その事象に対して、何事も早く分かること、分かったふりをして突き進んでいくことが、必ずしも正しいわけでもありませんし、とんでもない過ちに向かっていってしまうかもしれません。

そういったときに、“分からない”ことを“分かる”にしてしまうポジティブ・ケイパビリティではなく、“分からない”ことを“分からない”ものとしていったん保留しておく、待ってみる、といったネガティブ・ケイパビリティを持った存在は、とても大切なのではないでしょうか。

よく「思考停止」という言葉も聞きます。ネガティブ・ケイパビリティとは、思考停止でもあるのでしょうか。

思考停止とは、分からないことでも分かったふりをして突き進んだり、周りの流れに合わせ、あまり考えずに言うなりに進むといった側面もあり、むしろ、分からないことについては分からないこととして、いったん待つ、というのは、思考停止とは真逆の概念とも言えるかもしれません。

あるいは、決められないことを、「優柔不断」と称することもあります。両者の意味は似ているでしょうか。

どれにしようかいつまでもそのことに関して考え込み、「囚われてしまう」ということが優柔不断の特徴で、一方、ネガティブ・ケイパビリティのように、不確実な状態でも、「いったん待つ」と決断する、「分からないものは分からないものとして置く」と決めるというのは、優柔不断とは異なる姿勢と言えるでしょう。

このように、いったん待つ、じっくりと眺める、少しだけ距離を置いてみる、といった決断や姿勢は、「思考停止」や「優柔不断」とも違い、場合によっては、非常に大事な能力となります。

テレビなどでは、自分こそがより知っているという“分かっている”人同士が、ディベートでバシバシと言い合って、巧みに言い負かす、といったことが評価されることもあるかもしれません。

しかし、そうではない形のなかにも、賢さや価値というのは存在します。

気の利いたことをすぐに言えなくてもじっくり話を聞ける人だっているし、不器用であっても独特の発想を持っている人だっているし、子どもなんかは、言葉足らずでも感情を豊かに伝えてくれます。こうしたコミュニケーションのモードのどれにも価値があると思うのですが、「スピーディーで効率がよいやりとり」を重視しがちな今の世の中では、そういった能力の多様性が見えにくくなっているのかもしれませんね。

出典 : ネガティブケイパビリティとは。即レスしないコミュニケーション方法をあえて選ぶこと|谷川嘉浩

早急な結論を求められる時代、あらゆることへの不安が募っていく時代に、分からないことは、いったん分からないこととして置いておく。

すぐに感想や意見を言うのではなく、しばらく観察し、自分のなかで湧き上がってくるものを大切にする。

考えてもどうにもならないことについては、距離を置き、「なるようになる」という精神を持つ。

こういった力が、「ネガティブ・ケイパビリティ」という用語とともに、改めて注目されているのでしょう。

このネガティブケイ・パビリティは、能力というよりは、考え方や生きていく上での姿勢といったものに近く、身に付けるためや鍛えるために何かするというよりは、「意識」するだけでも随分と変わるでしょう。

自分は、結論を急ぎすぎていないか、ちょっと待ってみようか、これは分かりようがないことなんじゃないか、などと意識する。

分かる、理解する、意見や感想を発信する、という方向よりも、耳を傾ける、よく観察する、吟味する、ちょっと置いてみる、ぼんやりしてみる、これは仕方がないことだと、いい意味で諦める、などといったことに意識を傾ける。

また、速く結論を出さなければと不安に急かされているときは、いったん外に出て深呼吸したり、一晩寝かせてみたり、頭で追いかけ過ぎない、という方法も大事でしょう。

精神科医で小説家の帚木蓬生ははきぎ ほうせいさんは、ネガティブ・ケイパビリティを意識する際に、「趣味」の重要性についても語っています。

暇を作らないことも大切です。答えを見つけたいと焦ったり不安になったりする感情は、暇なときに生まれてくるものだからです。

趣味を多く持つのが良いですよ。畑仕事でも手芸でも読書でもカラオケでも、何でも良いと思います。かつてやりたかったけれども叶わなかったものもいいですね。

出典 : 何とかするのではなく、何とかなる。精神科医の帚木蓬生さんに聞く「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

情報が多く、分からなさや不安も蔓延し、あちこちから速度を要求される時代に、分からないことに対してはいったん置いておく、「ネガティブ・ケイパビリティ」は、ますます重要性を増していく力ではないでしょうか。

ある意味では、運命を受け入れる、許容する、といった広く受容の姿勢にも繋がってくる概念と言えるでしょう。

ちなみに、このネガティブ・ケイパビリティと関連した考え方としては、レイチェル・カーソンが提示した、「センス・オブ・ワンダー」や、仏教の世界における「諦める(明らかにする)」という考え方も、似ている側面があるのかもしれません。

生きる上で大事な概念として、この二つの発想に関する文章も、最後に添えて終わりにしたいと思います。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

出典 : レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』

「諦める」という言葉は、現在では、「自分の願望が叶わず仕方がないと断念する」というネガティブな意味で使われています。この言葉の語源は「明らむ」、つまり、「つまびらかにする、明らかにする」ことだと考えられています。また、「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があるそうです。

本来「諦める」とは、「真理、道理を明らかにする過程で、自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、納得してそれへの思いを断ち切る」というポジティブなものなのです。何かを「諦める」ために大切なことは、そこに至るまでのプロセスであると私は思っています。

出典 : 「諦める」ために研究する【重松 恵梨】

以上、詩人のキーツに由来する、「ネガティブ・ケイパビリティ」の意味と解説でした。