大手と搦手とは
日本史の用語に、「大手」と「搦手」という言葉が登場することがあります。
これは、お城の「大手門」、「搦手門」、という使い方をし、大手門が城の正面にある正門、搦手門が城や砦の裏門を意味します。
大手門 → 正門
搦手門 → 裏門
また、戦の際に、敵の正面を攻撃する軍を「大手」、城の裏門や敵陣の後ろ側から攻める軍を「搦手」と言い、それぞれ対義語の関係にあります。
画像 : 横山光輝『マンガ日本の古典 平家物語(下)』
平安時代末期、福原にいる平家を討ちに行く源氏軍は、大手の大将軍を源範頼が、搦手の大将軍を源義経が担います。
この大手という言葉、今でも「大手町」といった町名がありますが、この名前も、城の正門という意味の「大手」に由来します。
「大手」とは、城の表側。つまり正面のことです。ということは、「大手門」とは、城の顔となる正面玄関のこと。
多くは人や物の流れの中心となる街道や、防御機能も兼ね備えた城下町に通じています。この大手門の前に位置することからついたのが、「大手町」という地名です。
城の大手門は、正面だけあり、しっかりとした厳かな外観で、防御体制も整っています。
大手の語源は、「追手」と書き、「追手町」という名前の残る城下町もあります。
この追手の由来は、諸説あるようですが、一つは、戦い方のセオリーが関連しているという説があります。
敵が正面側から攻めてくると、裏側の出入口から守兵を出し、敵を正面に追い込んで攻撃・退却させ、場合によっては追撃するという、城に攻めてくる敵を迎撃する時の戦い方のセオリーが語源になっているという説があります。
正面(追手)から攻めてくる際、裏側から兵を出し、正面に追い込み、攻撃、撃退する、という手法が由来という説です。
一方、搦手門は、普段は手軽な出入り口として使われたり、不浄なものを運び出すときに使用されたそうです。
また、搦手門から兵が出て攻撃を仕掛けたり、脱走の経路としても使われ、そのぶん小さいことも多かったようです。
搦手という言葉には、他に、「物事の裏面」「相手の弱点や、相手が注意を払っていないところ(搦め手から批判する)」といった意味もあります。
搦手の「搦」とは、「取る、からめとる、縛り上げる」といった意味合いになります。
以上、大手と搦手の意味や由来でした。