百人一首の恋の歌一覧

現代で一般的に「歌」と言えば、歌謡曲やJポップといった「音楽」を思い浮かべるのではないでしょうか。
この音楽にとって人気のテーマとして、恋愛や失恋の悲しみ、切ない片想いなどを歌ったラブソングがあるように、もう一つの古くからの文化である「和歌」でも、恋心を綴った恋歌が数多くあります。
鎌倉時代初期に、公家で歌人の藤原定家が編纂した『小倉百人一首』では、定家の選んだ、飛鳥・奈良時代、平安時代、鎌倉時代の歌人の和歌が、一人一首ずつ収録されています。
その百人一首の全100首のうち、半数近くの43首が、恋の歌になっています。
恋の歌以外に多いものは、季節を詠んだ歌で、春夏秋冬合わせて32首あります。
一体なぜ、百人一首にこんなにも恋の歌が多いのでしょうか。
当時は、気軽に話しかけたり恋心を伝えるといったことはできません。そのため、人々は、和歌によって自分の想いを伝えるという風習があり、和歌が、ある種のラブレターのようなものでもあったのです。
百人一首のなかの恋の歌の意味を一つ一つ追っていくと、現代を生きる私たちにも通じる、胸に染みる作品もたくさん見つかると思います。
激しい恋心や切ない恋の歌が並ぶ百人一首、以下は、その百人一首のなかで恋歌とされる43首の作品の現代語訳の一覧です。
003 柿本人麻呂
〈原文〉
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
〈現代語訳〉
夜になると雄と雌が谷を隔てて別々に寝る山鳥の長く垂れ下がった尾のように、こんなにも長い長い夜を、私もまた、想う人にも逢えずに、ひとり寂しく寝るのでしょうか。
長い夜というのは「秋の夜長」という言葉もあるように、秋の夜を意味し、物寂しく逢いたい人に逢えずに想う一人の夜の長さを、山鳥の長く垂れ下がった尾に喩えています。
013 陽成院
〈原文〉
筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる
〈現代語訳〉
筑波山の峰から流れ落ちる水無川の水が、積もり積もってやがては深い淵をつくるように、あなたへの恋心も積もり、今では淵のように深い想いとなりました。
筑波山から流れ落ちる雫が、やがて深い淵となるように、恋心も積もりに積もって、深くなっていきました、という意味の歌です。恋も、最初はぽつぽつと小さかったとしても、ちょっとずつ積もっていって、いつの間にかとても深い恋心や愛情になっていることがあるのではないでしょうか。
014 河原左大臣
〈原文〉
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
〈現代語訳〉
奥州のしのぶ摺りの乱れ模様のように、一体誰のために私の心も思い乱れ始めているのでしょうか、私のせいではないのに(きっとあなたのせいですよ)。
忍ぶ恋は、秘めた片想いのこと。決して叶わぬ人を愛してしまったとき、その秘めたる想いの乱れた様、狂おしさを表現した歌です。
018 藤原敏行朝臣
〈原文〉
住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ
〈現代語訳〉
住の江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではありませんが、夜の夢のなかの私のもとへと向かう通い路でさえ、どうしてあなたは人目をはばかって逢いにきてはくれないのでしょうか。
平安時代の貴族たちにとって夢は特別で、恋する相手が自分の夢に出てくるほど、相手は自分のことが好きなんだと考えられていました。忍ぶ恋のなかで、せめて夢でくらい逢いにきてほしいのに、最近夢でも現れてくれなくなった、もう好きではなくなったんだろうか、という不安が歌われています。
019 伊勢
〈原文〉
難波潟短かき葦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや
〈現代語訳〉
難波潟の入り江に生えている葦の、短い節と節の間のような、ほんの短い時間でさえあなたとお逢いできないで、一生を過していけとあなたはおっしゃるのでしょうか。
作者の伊勢は恋多き女性として知られる平安時代の代表的な歌人。こんなに恋しているのに、ほんの少しのあいだもあなたに逢えずに一生を過ごしていけと言うの、という切ない恋心を歌います。
020 元良親王
〈原文〉
わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ
〈現代語訳〉
これほどに辛く思い悩んでいるのなら、今はもはやどうなっても同じことですから、いっそ、あの難波の澪標(身を尽くし)のように、この身を滅ぼしてでもあなたに逢いたく思います。
密かな恋の関係が知り渡り、逢えなくなってしまった状況で、こんなに苦しいのならもうどうすればいいか分からず、身を滅ぼしても逢いたい、という強い想いを詠んだ歌です。
021 素性法師
〈原文〉
今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
〈現代語訳〉
あなたが、「今すぐに行きましょう」とおっしゃったので、九月の長い夜を待っていたのに、とうとう有明の月の出を待ち明かしてしまいましたよ。
今すぐ行くから、と言ったから、長い夜を待っていたのに、出逢えたのは夜更けの有明の月。とうとう来てはくれなかったね、という切ない片想いの歌でしょうか。作者は男性で、女性になりきって心情を詠んだ恋の歌です。
025 三条右大臣
〈原文〉
名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな
〈現代語訳〉
逢坂山の小寝葛が、恋人に逢って一夜を過ごせる、という意味であり、その名の通りであるのでしたら、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、誰にも知られず、あなたのもとへ訪ねてゆく手立てがあればいいのに。
人目を忍んだ恋、誰にも知られることなく、あなたのもとへ行く方法があったらいいのに、あの逢坂山のさねかずらという言葉にあるように、という願いのこもった歌です。
027 中納言兼輔
〈原文〉
みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ
〈現代語訳〉
みかの原から湧き出て、かき分けるようにして流れる泉川、その「いつ」という言葉ではありませんが、一体いつ逢ったといって、(一度も逢ったことがないのに)こんなにもあなたのことを恋しく思ってしまうのでしょうか。
一度も逢ったことがない女性(歌の上手さや評判などをもとに恋をすることもあったようです)への恋心を詠んだ歌です。現代で言えば、SNSで出会い、その言葉などに惹かれ、恋心を抱くようなものかもしれません。みかの原とは、現在の京都府の木津川の北側のことを意味します。
030 壬生忠岑
〈原文〉
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
〈現代語訳〉
有明の月は冷淡に見え、あなたもその有明の月のようにそっけないもので、あなたと別れて以来、夜明け前の月ほど憂鬱なものはありません。
男性が、女性のもとに逢瀬のために行ったら、そっけない態度を取られ、その白々しい冷たさは夜が明けても空に残っている有明の月のようで、あれ以来、夜明け前の時間がとても憂鬱で寂しい、という失恋の歌でしょうか。あるいは、愛し合う仲の二人が、明け方に別れ、そのとき空に月があり、あの日以来逢っていないことを思い出させる寂しさを詠んだ和歌だという解釈もあります。
038 右近
〈原文〉
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
〈現代語訳〉
あなたに忘れ去られる我が身のことは何ほどのことも思いません。ただ、私を愛すると神に誓ったあなたの命が、神の罰を受けることになるのが惜しまれてなりませんよ。
恋の歌のなかでも、一風変わった皮肉の歌。「私が忘れ去られるのは別にいいのよ、でも、愛すると神に誓っておきながら忘れてしまったあなたの命が、罰を受けることになるのではないかと心配でなりません」と、女性が自分を愛すると言ってくれながら去っていく男性に対して抱く皮肉とも思えるような想いを詠んだ歌です。
039 参議等
〈原文〉
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
〈現代語訳〉
まばらに茅の生えている小野の篠原の「しの」のように、あなたへの恋心を忍び隠しているものの、もはや忍びきることはできません、どうしてこのようにあなたのことが恋しいのでしょう。
特定の誰かに向かって詠みかけた恋の歌で、忍んで隠している恋心が、もう隠しきれずに溢れそう、なんでこんなにもあなたが恋しいのでしょう、という想いを歌っています。風に吹かれ、まばらに茅の生えている、篠竹が茂る野原は、忍んだ恋心のようで、風が吹くとさらさと波打つように音を立てる様が、溢れる恋の想いを描写しているのかもしれません。
040 平兼盛
〈原文〉
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
〈現代語訳〉
知られまいと恋しい想いを隠してきましたが、隠しきれずに態度に表れてしまったようです、私の恋は。「恋をしているのでは」と人が尋ねるほどまでに。
秘めた恋心も、隠れしきれずに表情などに表れてしまったようで、周りの人が「恋をしているのではないですか」と尋ねるほどでした、という歌です。
041 壬生忠見
〈原文〉
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
〈現代語訳〉
恋をしているという私の噂が、もう世間の人たちのあいだに広まってしまったようです。人知れず、密かに想いはじめたばかりでしたのに。
恋をすると、人は変わります。それは表情に表れることもあれば、おしゃれを気遣うようになったり綺麗になるなど行動や外見に表れることもあるでしょう。人知れず、ひっそりと恋が始まったばかりなのに、もう周りの人たちは知っているみたい、みんな「あの人は恋をしてるんじゃないかしら」と噂している、というときの微妙な心理を詠んだ歌です。
042 清原元輔
〈原文〉
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
〈現代語訳〉
約束をしましたよね、お互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、波があの末の松山を決して越すことがないように、私たちの愛も決して変わらないと。
あの頃、お互いの袖がぐっしょりと濡れるほど涙を流しながら、私たちは約束しましたよね、愛は永遠だと、と心変わりを責める歌です。末の松山とは、現在の宮城県多賀城市周辺で、海辺ながら決して波を被らないという伝承があり、この伝承ゆえに、男女の契りの際に、「もし心変わりするときがあれば、あの末の松山さえも波が越えるでしょう」と言う風習があったそうです。
043 権中納言敦忠
〈原文〉
逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり
〈現代語訳〉
あなたと逢って愛し合った後の恋しい気持ちと比べたら、逢いたいと思っていた昔の恋心の苦しみなどは、ないと同じようなものでした。
恋多き男性であった権中納言敦忠の恋の歌。まだ一夜を共にする前に、あれほど恋しかった想いよりも、実際に愛し合ったあとは、あの頃の恋心などないと同じようなものと思えるほどにいっそう恋しい気持ちが燃えたぎります、という激しい恋心を詠んだ歌です。
044 中納言朝忠
〈原文〉
逢ふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし
〈現代語訳〉
あなたと一度も結ばれていなかったら、あなたの冷たさも、自分の不幸も、こんなにも恨むことはなかったでしょうに。
もし全く逢えないようなら、あなたのつれなさや自分の不幸を恨むようなこともなかったのに、あなたと一度結ばれてしまったばかりに、その都度彼のことが気になって心が乱される、恋心の難しさを詠んだ歌です。
045 謙徳公
〈原文〉
哀れともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
〈現代語訳〉
私を哀れだと慰めてくれる人がいるようにも思えませんし、私はただ、あなたを恋しく思いながら虚しく死んでいくのでしょう。
男性が、恋心を抱いて言い寄った女性の心がだんだんと冷めて逢ってくれなくなってきたなかで詠んだ歌です。あなたに離れられ、他に誰も私のことを愛おしさを込めて可哀想にと思ってくれそうな人もいないまま、虚しく死んでいくのでしょう、と失恋の哀情を歌い上げています。ただし、作者は才色兼備だったようで、母性本能をくすぐるようにして女性の想いを呼び戻す歌だったのかもしれません。
046 曽禰好忠
〈原文〉
由良の門を渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな
〈現代語訳〉
由良の門を渡る船人が、梶をなくして、どこへ漕いでいったらいいのか行方が分からないように、これからどうすればいいのか途方に暮れる恋の道ですよ。
潮の流れが荒く、激しい、由良川と海を接する河口の海峡で、舟を漕ぐ梶をなくし、どこへ漕いでいくこともできず、ただ流れのままに漂う以外になくなる、といった様子を、恋の道と重ね合わせて歌っています。「絶え」とは「なくなって」という意味です。
048 源重之
〈原文〉
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな
〈現代語訳〉
風が激しく、岩に打ち当たる波が、岩はなんともなく、自分だけが砕け散ってしまうように、あなたは平気で、私だけが、心も砕けるように恋心に悩んでいるこの頃ですよ。
岩に打ち当たる波の情景が浮かぶのではないでしょうか。風が激しく吹き、波が岩に打ち当たっても、岩はびくともせずに、波だけが砕け散っていく。そんな風に、あなたは平然としているのに、自分の心だけが砕け散っていく。この和歌は、片想いに悩む男性の切ない恋の歌です。
049 大中臣能宣朝臣
〈原文〉
みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ
〈現代語訳〉
宮中の御門を守る御垣守である衛士の燃やすかがり火が、夜に赤々と燃え、昼は消えているように、私の心も夜は情熱に燃え、昼は消え入るように物思いにふけり、日々恋に悩んでいます。
050 藤原義孝
〈原文〉
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな
〈現代語訳〉
あなたに逢えるなら惜しいとも思わなかった命ですが、こうしてあなたと逢瀬が叶った今では、長く生きていたいと思うようになりました。
51 藤原実方朝臣
〈原文〉
かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
〈現代語訳〉
せめて、こんなにもあなたに恋しているのだと言えればいいのですが、言えません。だから、あなたは、伊吹山のさしも草が燃える火のように、燃え上がる私の恋の思いをご存知でないでしょうね。
52 藤原道信朝臣
〈原文〉
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしきあさぼらけかな
〈現代語訳〉
夜が明ければ、やがて日が暮れると、わかっていながら、やはり恨めしい朝ぼらけだなぁ。
53 右大将道綱母
〈原文〉
歎きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
〈現代語訳〉
嘆きながら一人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間が、どれほど長いかご存知でしょうか、ご存知ないでしょうね。
54 儀同三司母
〈原文〉
忘れじの行く末までは難ければ今日をかぎりの命ともがな
〈現代語訳〉
あなたが「いつまでも忘れない」と言っても、その言葉が将来もずっと変わらないというのは難しいでしょうから、そう言ってくださる今日が最後の命であればいいのに。
56 和泉式部
〈原文〉
あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
〈現代語訳〉
私はもうすぐ死んで、この世からいなくなるでしょう。あの世への思い出として、せめてもう一度だけ、あなたにお逢いしたいのです。
58 大弐三位
〈原文〉
有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
〈現代語訳〉
有馬山の近くにある猪名の笹原に風が吹き、笹の葉が揺れ、そよそよと音を立てる、そうよ(そよ)、そのようにあなたのことを忘れなどするものですか。
59 赤染衛門
〈原文〉
やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
〈現代語訳〉
ぐずぐずと寝ないであなたの訪れを待っているのではなく、さっさと寝てしまえばよかったものを、あなたのことを待っているうちに、夜が更け、西に傾いて沈んでいく月を見てしまいました。
63 左京大夫道雅
〈原文〉
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
〈現代語訳〉
今となってはただ、あなたへの想いは諦めましょう、ということを、人づてではなくあなたに直接伝える方法があってほしいものです。
65 相模
〈原文〉
恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
〈現代語訳〉
もう恨む気力もなく、泣き続けて涙も乾かしきれずに朽ちてゆく着物の袖さえも惜しいのに、恋によって悪い噂を立てられ、朽ちていく私の評判がいっそう残念でありません。
72 祐子内親王家紀伊
〈原文〉
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
〈現代語訳〉
噂に名高い、高師の浜にいたずらに立つ波にかからないようにしますよ、袖が(涙で)濡れては困りますから(浮気者だと噂に高い、あなたの言葉は心にかけずにおきますよ、涙で袖を濡らしてはいけませんから)。
74 源俊頼朝臣
〈原文〉
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
〈現代語訳〉
私に冷淡なあの人に愛されたいと初瀬の観音様に祈ったけれども、初瀬の山の山おろしよ、こんなに冷たく吹き荒れてほしいとは祈っていなかったのに、お前のように、あの人もどんどん冷たくなっていく。
77 崇徳院
〈原文〉
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
〈現代語訳〉
瀬の流れが速く、岩にせき止められた滝川の急流が二つに分かれても、また一つになるように、あなたと今は別れても、いつかきっとまた逢おうと思っています。
80 待賢門院堀河
〈原文〉
ながからむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
〈現代語訳〉
昨夜契りを交わしたあなたの愛情が長く続くかどうか分からずに、お別れした今朝はこの乱れる黒髪のように心も乱れ、物思いに沈んでいます。
82 道因法師
〈原文〉
思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり
〈現代語訳〉
恋の思いにこれほど疲れ切っていても、命は続いているのに、辛さをこらえきれずに流れてくるのは涙であることよ。
85 俊恵法師
〈原文〉
夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで閨のひまさへつれなかりけり
〈現代語訳〉
夜通し恋に思い悩んでいる今日この頃は、いつまでも夜が明けなくて、(明け方の光が射し込んでこない)戸の隙間さえ冷たく無情に感じられることよ。
86 西行法師
〈原文〉
なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな
〈現代語訳〉
嘆けと、月が私に物思いをさせるのでしょうか、いやそうではない、それなのに、まるで月のせいあるかのようにして流れる私の涙よ。
88 皇嘉門院別当
〈原文〉
難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
〈現代語訳〉
難波江に群生する葦の刈り根の一節ではありませんが、たった一夜だけの仮寝のために(一晩だけ一緒に過ごしたせいで)、あの澪標のように、身を尽くして生涯恋い焦がれ続けなければならないのでしょうか。
89 式子内親王
〈原文〉
玉の緒よ絶なば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする
〈現代語訳〉
私の命よ、絶えるものなら絶えてしまえ、このまま生き長らえていたら、耐え忍ぶ心が弱って恋心が表に溢れ出てしまうかもしれないから。
90 殷富門院大輔
〈原文〉
見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色は変らず
〈現代語訳〉
この血の涙で真っ赤に染まった袖をあなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖さえも、波で濡れに濡れても色は変わらないというのに。
92 二条院讃岐
〈原文〉
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
〈現代語訳〉
私の袖は、引き潮のときでさえ見えない沖の石のように、誰にも知られずに恋の涙で濡れ、乾く間もない。
97 権中納言定家
〈原文〉
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
〈現代語訳〉
松帆の浦の夕凪の時刻に焼いている藻塩のように、来てはくれない人を想って、私の身は恋い焦がれているのです。