58 大弐三位
〈原文〉
有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
〈現代語訳〉
有馬山の近くにある猪名の笹原に風が吹き、笹の葉が揺れ、そよそよと音を立てる、そうよ(そよ)、そのようにあなたのことを忘れなどするものですか。
しばらく訪れなかった男性側が、忘れていないかと不安に思うという風に手紙をよこしたので、「なにを言うんですか、忘れたのはあなたでは」と言い返す想いで詠まれた歌です。有馬山は、現在の神戸にある山。「いで」は、感動、決意、勧誘などを意味する副詞です。
59 赤染衛門
〈原文〉
やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな
〈現代語訳〉
ぐずぐずと寝ないであなたの訪れを待っているのではなく、さっさと寝てしまえばよかったものを、あなたのことを待っているうちに、夜が更け、西に傾いて沈んでいく月を見てしまいました。
会いに行くと言いながら、とうとう訪れなかった男性に、それなら待っていないで眠ってしまえばよかったのに、夜が更け、月を眺めている、という切ない情景が描かれています。「やすらふ」は「ためらう、ぐずぐずする」という意味で、「やすらはで」の「で」は、打消しの接続助詞。「躊躇しないで」という意味になります。
63 左京大夫道雅
〈原文〉
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
〈現代語訳〉
今となってはただ、あなたへの想いは諦めましょう、ということを、人づてではなくあなたに直接伝える方法があってほしいものです。
作者の道雅は、恋仲となる当子内親王との関係を、内親王の父親に反対され、二人の間は引き裂かれます。そのため、別れる決意を、せめて直接会って伝えられたら、という想いが詠まれた歌です。「言ふよしもがな」の「よし」は、「術、方法」という意味で、「もがな」は願望の終助詞です。
65 相模
〈原文〉
恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
〈現代語訳〉
もう恨む気力もなく、泣き続けて涙も乾かしきれずに朽ちてゆく着物の袖さえも惜しいのに、恋によって悪い噂を立てられ、朽ちていく私の評判がいっそう残念でありません。
この時代、涙は袖で吹くものとされ、和歌では、袖と涙は縁語になっています。恨み疲れるほどの悲しみで、いつも涙し、袖が濡れ、乾く暇もなく朽ちていく着物と、恋の噂で朽ちていく自らの評判が重ね合わせて歌われています。
72 祐子内親王家紀伊
〈原文〉
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
〈現代語訳〉
噂に名高い、高師の浜にいたずらに立つ波にかからないようにしますよ、袖が(涙で)濡れては困りますから(浮気者だと噂に高い、あなたの言葉は心にかけずにおきますよ、涙で袖を濡らしてはいけませんから)。
男女が分かれ、贈答する形で恋歌を競い合う歌合「艶書合」で、男性側の藤原俊忠が、浜辺に打ち寄せる波のようにあなたに言い寄りたいという歌を詠んだのに対し、女性側の紀伊が、浮気性な波には、ただ袖を濡らして涙するようなことになるのを見るだけだから、答えるつもりはありませんよ、と粋に返した歌です。「音に聞く」とは、噂や評判という意味。「あだ波」は、浮気な男という意味を込めて、いたずらに立つ波のことを指します。このとき、女性側の紀伊は70歳、男性側の俊忠は29歳でした。
74 源俊頼朝臣
〈原文〉
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
〈現代語訳〉
私に冷淡なあの人に愛されたいと初瀬の観音様に祈ったけれども、初瀬の山の山おろしよ、こんなに冷たく吹き荒れてほしいとは祈っていなかったのに、お前のように、あの人もどんどん冷たくなっていく。
恋の歌のなかで、「祈ったものの叶わなかった恋」をお題として詠まれた歌です。初瀬とは、奈良県の初瀬町のことで、大和国の歌枕です。山から吹き下ろす激しい風の冷たさと、恋人の冷たい態度を重ねた意味合いになっています。
77 崇徳院
〈原文〉
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
〈現代語訳〉
瀬の流れが速く、岩にせき止められた滝川の急流が二つに分かれても、また一つになるように、あなたと今は別れても、いつかきっとまた逢おうと思っています。
川が激しく流れ、岩にせきとめられ、二つに分かれる。別れが訪れても、またいつか再会できるようにという想いが込められた歌です。「瀬をはやみ」の「〜を〜み」は、「〜が、〜なので」という意味になります。
80 待賢門院堀河
〈原文〉
ながからむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
〈現代語訳〉
昨夜契りを交わしたあなたの愛情が永遠に続くかどうか分からずに、お別れした今朝は、この乱れる黒髪のように心も乱れ、物思いに沈んでいます。
男性の愛が永遠に続くかどうか不安になっている女性の心情が詠まれた歌です。「ながからむ心」とは、末永く続く心を指します。「黒髪の乱れて」というのは、黒髪の乱れと、心の乱れという二つが掛けられています。「今朝」というのは、一夜を過ごした翌朝のことです。
82 道因法師
〈原文〉
思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり
〈現代語訳〉
恋の思いにこれほど疲れ切っていても、こうして命は続いているのに、辛さをこらえきれずに流れてくるのは涙であることよ。
恋に思うことに疲れ果てながら、それでも命は絶えることはなく、悲しみのあまりこぼれ落ちてしまう涙であることよ、という切実な心を詠んだ歌です。作者の道因法師は、年老いてから出家し、この歌は出家前のものか、出家してからの歌かは分かっていません。
85 俊恵法師
〈原文〉
夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで閨のひまさへつれなかりけり
〈現代語訳〉
夜通し恋に思い悩んでいる今日この頃は、いつまでも夜が明けなくて、(明け方の光が射し込んでこない)戸の隙間さえ冷たく無情に感じられることよ。
僧侶が、女性の立場になって詠んだ歌です。閨というのは、寝室のことです。「閨の暇」とは、この隙間を意味し、一晩中恋に悩むこの頃は、恋人だけでなく、寝室の隙間も、つれなく、無情に感じられる、と両者を重ね合わせて切ない恋心を歌っています。
86 西行法師
〈原文〉
なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな
〈現代語訳〉
嘆けと、月が私に物思いをさせるのでしょうか、いやそうではない、それなのに、まるで月のせいであるかのようにして流れる私の涙よ。
若くして出家し、放浪の歌人と言われる西行の恋歌。月のせいで自分が悲しく嘆いているのか、いやいや、そうではない、まるで月のせいのようにして、流れてくる私の涙よ、と歌われています。
88 皇嘉門院別当
〈原文〉
難波江の葦のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
〈現代語訳〉
難波江に群生する葦の刈り根の一節ではありませんが、たった一夜だけの仮寝のために(一晩だけ一緒に過ごしたせいで)、あの澪標のように、身を尽くして生涯恋い焦がれ続けなければならないのでしょうか。
89 式子内親王
〈原文〉
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
〈現代語訳〉
私の命よ、絶えるものなら絶えてしまえ、このまま生き長らえていたら、耐え忍ぶ心が弱って恋心が表に溢れ出てしまうかもしれないから。
90 殷富門院大輔
〈原文〉
見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず
〈現代語訳〉
この血の涙で真っ赤に染まった袖をあなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖さえも、波で濡れに濡れても色は変わらないというのに。
92 二条院讃岐
〈原文〉
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
〈現代語訳〉
私の袖は、引き潮のときでさえ見えない沖の石のように、誰にも知られずに恋の涙で濡れ、乾く間もない。
97 権中納言定家
〈原文〉
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
〈現代語訳〉
松帆の浦の夕凪の時刻に焼いている藻塩のように、来てはくれない人を想って、私の身は恋い焦がれているのです。